パース〜ゴールのシドニーへ

大陸一周!こだわってないと言えばウソになる。
出来ることなら足跡をつなぎたい。
でもバイクの調子が、、、、。
ここまでくれば何とか持ちこたえて欲しいけど。
西から東は、ただ距離を消化いくだけの移動となる。
8ヶ月ぶりのシドニーはどんなだろう?
どんなふうに見えるだろう?

5月26日

いい雰囲気のパースを出発。
今度の目標は、ついにゴールのシドニー。
だいたい5〜6000キロ。ラストスパートだ。 相変わらずエンジンはカンカンとうるさい。
ここからは、建物に泊まることが出来れば、そこに泊まることにする。
もう寒い。
夕方から雨になる。
ペンバートンのYHに泊まる。
ここにバイク好きなオージのカップルが泊まっていて、僕がガンバレルやタナミなどのダードロードの名前を知っているのに驚いていた。
何でそんなに知っているんだと聞くので、オーストラリアのストックルートは日本のバイク雑誌によく書いてあるんだよというと、「ガルル」か? と言う。
なんでそんなことしってんの?
ウソのようなほんとの話。
この2人は来年オーストラリア最難関と言われているカンニングストックルートに挑戦するそうだ。グレイトッ!
次の日ここの名物になっている木に登る。
ミヤちゃんから僕へのメッセージがあった。
雨の中昇ってよかったと思った。
28日

エスペランスからまた奥のラッキーベイというところまで行く。
ここはケアンズにいるときから行きたかったところだ。
エメラルドグリーンの海の色に思わず「ウワッ!」と声が出たぐらいだった。
しかし誰も人がいない。
人の気もない。
何となく落ち着かない。
帰り燃料がなくなり、押さなくてはならないと覚悟決めていたら、ぎりぎり保った。
10ccも残っていなかった。
やっぱりホントにラッキーベイでした。
夜、何もないところで暗くなる。
ここまで南下すると4時半には走るのをやめなくてはならない。
横のブッシュにはいるが、カンガルーの骨や、たき火のあと、ビール瓶、ゴミがいっぱい散乱しているところで仕方なくテントを張る。
日も短く夜は長く退屈。
ここは少し怖い。
29日
WAからサウスオーストラリア(SA)に入る。
今日も道端でブッシュキャンプ
あまり人とも会わない単調なバイクでの移動に、頭の中に「言葉の列車」が走り出す。
バイクの乗って、しばらく走ると頭の中にリズムが刻まれ、自然に歌がでてくる。
ルーリード(ワイルドサイドを歩け)から北島三郎(函館の女)まで5曲くらいをエンドレスに、そして五七五調の俳句ラップへと移り、最後は一人漫才。
全部アドリブなのにばっちりきまる!
まさに「言葉の列車」だれも止められない。
西側に来てから、そんな日が続いた。
これがナチュラルハイと言うやつかも?。
31日

ナラボー平原の海ぎりぎりの所まで行きたくなり、轍を選んでダートを下っていった。
下ったはいいが、思っていたより勾配が急で、ずるずる下ってしまう。
大きな石がごろごろしている何度めかの坂でこける。
荷物外して、バイクを立て直し今まで来た道を改めて見ると、大変な坂道。
こけた拍子に、ブレーキレバーがまた折れて、握るところがほとんどなくなった。
うかつだった。少し焦る。
下るのは15分ほどだったのに、上がるのは1時間以上かかる。
途中から、雨は降るし、荷物担いで道まで3往復も運んだ。
気分的に疲れた。
無給油区間の長いナラボー平原も3泊4日で無事に越す。
途中一度だけ予備の飲み水が切れたが、レストエリアにある、緊急用?の雨水を貯めてある水を補給した。
これが暑い時期なら、飲み水もかなりいるだろうなあ。
ここでまた時差の壁を越える。今度は損する方向だ。
6月3日

エアーズロックへの道スチュワーとハイウエイの分岐を越す。
ここから車の量が違う。田舎と都会の分水嶺。
そしてアデレードに着く。
ここも大きな町だ。結構中心地まで時間がかかる。
パースをでてからここまでずっと曇りか雨だった。
ここでこそXTを売ろうと、バイク屋に繰り出す。
見つけた!逆転ホームラン!
SS750!ほとんどコンクールコンディション。フルオリジナル。
日本じゃ国宝とは大げさだけど、重要文化財級!
最近コレクターが手放したんだそうだ。
恐る恐るいくらでXTとトレードできるか聞いた。
SS750が2500ドルで僕のは1500ドルで取るというので、追い金1000ドルだ。
ここまで来ればシドニーまであと1週間、2000キロ弱
この状態なら乗っていけると思う。
これを日本に持って帰り、半年ほど乗り回して、売っても80万ぐらいで売れそう。 船積みの運賃差し引いてもおいしすぎる話!
なにしろ80万が25万で売ってあるんだから。
すぐその足で銀行に行き金を下ろして、浮かれ気分で店に舞い戻る。
店員は店のボスに言って、XTに乗った。
何やら変な雰囲気。そして ボスはうちでは引き取れないと言う。
なんでやさっき、ええゆうたやんか!
こんなにエンジンがダメだったとは思わなかった。
このバイク2500ドルでは売るが、このバイクはいらん、せいぜい300ドルだと。
またかいな!パースのZ1の時もそうだったけど、ここでもか。
もうちっとしっかりしてくれよ!セニョール!
こんなチャランポランな商売やったら誰でも出来るでー
それか俺が日本人やからなめとんか?ぼけ!
と英語で言えるはずもなく、心の中で言った。
XTにごめんよ売ろうとして、やっぱりおまえが一番や、とまた謝った。
その夜もSSの事が諦めきれず、日本から金借りてあーでもないこーでもないと、考えて眠れなかった。
アデレードを出る。
SSは諦める。
今回僕は行商に来たわけではない。と自分に言い聞かすが、でもくやしーぃ!
SSで青い煙出しながらオーストラリアツーリングなんてかっこよすぎるで!
雨の中またバイクの息付が出てきて、今回のはひどく何度も止まった。
アデーレードまで引き返して、ちゃんと見てもらった方がいいかもと思うが、 それもめんどくさいし、だましだまし雨の中進む。
カッパ着て、交通量の多いハイウエーを黙々と走っていると、日本のツーリングを思い出す。
その間も、エンジン不調が不安でメシの味も分からない。
夕方になり再びバイクを点検すると、プラグキャップが軽く抜けてしまった。
なーんだこんなことだったんか!と呆れた。
その日は200キロも進めず、キングストンという所で終わり。
別にレゲエが鳴っている町でもなく、ここの民家が好きでやっている、 バックパッカーに泊まる。
そこは、普通の個人の家で、話好きの40才ぐらいの男が一人でやっている。
客は僕一人だったので、もしかしてホモとちゃうやろなあと不安でしたが、 たまたま話の中で、仁王ちゃんの事が出て、するとオーナーはその事故なら知っている。と当時の事故の新聞記事を持っていた。
そして僕にくれた。
次の日事故にあった場所に行けるはずだ。と言う。
6日

キングストンの町を出てすぐバイクの息付が始まる。
とうとう止まってしまった。
プラグキャップが原因ではなかった。
あと少しで仁王ちゃんの所まで行けるのに! たのむー!と神様にお願いするが、そんな事でどうなることでもなく、 道端で気が引けたが今回は時間がかかっても徹底的にやることにした。
丹念に見ていくと、1カ所コイル付近の配線が緩いような気がした。
そこをしっかり接続する。
神様に祈る気持ちで組たて、エンジンをかける。
安定している。息付しなくなった。
2時間以上ロスしたけど、その甲斐はあったみたい。
それから2度と不具合は起こらなかった。
仁王ちゃんの場所が分からず何度か人に聞く。
あまり郊外には人がいないので、聞いたところから30キロも戻ったりして なかなか分からなかったけど、それはミリセントと言う町から、新1号線で西に17キロ進んだ場所にあり、至る所に現場検証の黄色いマーカーの印があり、すぐ分かった。
草むらには衝突したときのバイクの残骸がまだ残っていて、見覚えのある生活道具が落ちていた。
干からびた花やタバコがおいてある。
また悲しくなった。
たぶん今回このオーストラリア回っている奴では、 ここを通るのは僕が最終だと思う。
今度、またここに来れるかどうかは分からない。
そこに手前の町で買ってきた花の球根を植える。
この場所に花がいっぱい咲けばいいけど。
 9日

大都市メルボルン到着。
歴史のありそうな建物がある古い町並み。
時間がない2泊のみする。
10日

もう寒い寒い。
ハイウエーのドライブインでは、手がかじかんで動かなく、ウエイトレスの人に、ポケットから財布を出してもらったほどだ。
もう山ではスキーができるらしい。
6月12日

見覚えのあるところまで帰ってきた。
この道はスイサンやひとみちゃんたちとスカイダイビングしに来たところだ。
そしてリバプールに来た。
ハイサイドと言う店、ここはぼくのDRの面倒を色々見てもらった所だ。
ボスに帰ってきたよと、挨拶したかったが、あいにく留守だった。
ここからはもう僕の道!知っている道。
何度も何度も何度もバイクの事で通った道。
そこに行くのが僕の仕事だったぐらい。
たぶん日本に帰ったときよりも、今の方がたぶん懐かしくかんじるだろう。
帰った日は出発点のタニアで泊まろうと決めていた。
タニア到着、荷物を下ろす。
一周、完了。オーストラリアをぐるっと一本の線でつないだ。
ついに終った。
ミヤちゃんの住んでいるフラットへ挨拶しに、ビールを買って1ケース担いでいく。 住処近くの赤信号で止まった。
後ろからぬっとバイクが出てきた。
「おかえりなさい。」GT550ミヤちゃんだ。
「ただいま!」偶然道で一緒になり、2台でフラットに戻る。
何から話そうか?何だか少し恥ずかしい。
DRとGT、久しぶりのコンビ。今はどちらもバイクはスカスカ。
聞くと何と今ミヤちゃんはたった今、カーペンの帰国の見送りの帰りだったのだ。
ほんの数時間の入れ違い。
カーペンに会えなかったことで、日本に帰っても僕の旅はまだ終わらないと思った。
それは、エアーズロックでスイサンとミヤちゃんとカーペンの3人は来年の正月バイクで宗谷岬に集まる男の約束をしたそうだ。
パースの上の方で、カーペンと再会した時、カーペンは僕に来いこいと誘っていて、その答えを出し渋ったまま別れた。
その答えを聞かずして日本に帰るとは!
そうなれば答えは一つ来年は宗谷に行って、カーペンにこう言うしかない。
「俺も来たで!」と。
深夜タニアに帰る。
8ヶ月半ぶりのタニアは人間はもちろん、オーナも、部屋の作りも変わっていた。
今のシドニー生活をエンジョイしている日本人が談話室で和気あいあいとしている。
日付は変わって、偶然にも去年の今日、タニアに来た日だった。
そのときは、この壁に大きなオーストラリアの地図が貼ってあり、そこを指でなぞり、あーでもないと毎晩、まだ知らない町を想像して皆で騒いでいた。
今、その地図は外されていてもうない。
ミヤちゃんちで、1週間ばかりお世話になり、
XTの売却(500ドルくらい)
帰りのチケットの購入。(600ドルくらい)
6月20日出国

バンコク行きの飛行機の窓から赤い大地が何時間も下に見えている。
細い線に見える道が時々真っ直ぐまた、斜めにはしっているのが見える。
ここのどこかを走っていたんだ。
飛行機から見てもやっぱりこの国は大きかった。
「さらばじゃ、マイオーストラリア!」
俺はタイでうまい飯を食う。

おわり
あとがき




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