始まり

オーストラリアをバイクで走りたい!!。
約2年間、このために、へどろ、ごみ、糞まみれ、になって下水道清掃会社で働いた金、約70万を使うときが来た!
金の面ではいくらあっても十分ではないので、足らなくなったら、働けるようにと、ワーキングホリデービザを取り、あとの細かいことは1年もビザの期限があるのだから行ってから決めようと、バイクで地平線を走ろうということ意外は、何も決めず。日本を発つ。


1991年6月11日、早朝6時、1ドル107円のオーストラリアはシドニーに到着。
1年後?ここに再びくるとき、いったいどんな気持ちでこの景色を見るだろうか?
とりあえず今日の目的はたった一つ、宿を確保することのみ。
いきなりでもバイクが乗れる装備で、ヘルメット、ガスこんろ、テントを背中にかつぎ、コップが背中でカランカランといわせて歩いているやつは僕のほかにはいない。
不安半分、うれしさ半分。
そんな気分で空港タクシーに乗る。
今日のお泊まり先は、親切で安い宿とガイドブックにあるオーストラリア一の繁華街、キングスクロスのバックパッカーを直接、指差し「プ・プリーズ」
タクシーは進む。
しかしよく見ると、差したところはちがっていた、一行ずれていた!
あちゃーどうしよう?言い直そうか?でもどう言えばいい?まあどこでも泊まれればいい。
開き直る。タクシーの親父は終始無言。
しかし喋られても困るもんなー。
英語全然ダメ。
ドッグ、キャット、ハウス、ストップ、ゴー、こんな感じ。
間違って指してしまったところに着く。
ここも泊まれそうな建物。
レセプション前で、英単語の丸暗記する。
「アイドライクトゥーステイシングルルーム・・・・・」
扉を開けて、深呼吸。
外人が二人もこっちを見ている。(外人はおまえだちゅーの)
「ええーっと・・・・・・・・・・・・・」
もう忘れた。
格好悪いけど手帳を出して、それを読み上げた。
何とか個室を借りた、1泊15A$のバックパッカーで2日間滞在。
シドニーは肌寒く、風邪をひいたみたい、緊張でか下痢になった。
ここはセサミストリートの国だ。
もう日本食が食いたくなった。
二日後ここにいてもしょうがないので。
人に勧められ、日本人のいる少し郊外にある、(タニア プレイス)と言うところに行く。
ここは、ワーキングホリデーのマネージャーを始め、 日本人ワーキングホリデーのたまり場になっていた。
ここが僕のシドニー、オーストラリアでの基盤となる。
1ヶ月、2ヶ月の長期滞在者もいたりして、僕は英語の堪能な彼らに、 小判鮫のように、くっつき歩きいては、ワーホリの、必修アイテム、 銀行口座、TAXファイルナンバー(個人の税金番号)、をうまくゲットし、 なおかつ、電車の乗り方、簡単な英会話、生活のノウハウを、 吸収していく。
ここに来て、正直安心した。
僕はただのバイクバカ。
海外旅行どころか飛行機が初めて、オーストラリアに来ても、この国の知っていることといえば、コアラ、シドニーぐらい。
しかしここには似たような者どころか、もっとすごいへんなやつが結構いた。
ここでエピソードを書くと、明日までかかりそうなのでやめる。
そして、いつしかここで僕の寝息から、皆に「ウー」と呼ばれるようになる。

6月25日
掲示板で見た7年落ちのDR600走行4万キロを日本人から1300A$で購入、程度は下、少し焦ったかなとも思ったが、これ以上電車やバスに乗るのがもういやになった。
名変も済ますが名前が、YATAKA−HIRONOになったいたが、ま、いいとする。
「イエーイ!!これで自分の思うままにいつでもどこでも移動可能!もう英語も読めなくても話さなくても移動できる!地の果てまで!」
DRは安いだけに、すぐに修理が必要だった。
クラッチ板、フロントフォークシール、エンジンヘッドガスケット、タイヤ、そして ダイナモのローター細かいところ、これからのために部品交換。
なんやかんやで、1200ドルかかる。
中途半端な物を買って途中でトラブルよりも、最初からやっていくのも手だとも思う。
この間約2カ月間、こうして、このタニアで旅に向けての物質的精神的両方の十分な準備が出来た。
任意保険にも入るが、これがどこまで有効かは?英語が読めない。
そしてたくさんの旅仲間が出来た。
これから金を稼いでバイクや車でで旅をするという者が結構いた。
そんな連中と毎晩オーストラリアの地図の前で、まだ見ぬ未知の場所を想像し、 毎日がお祭り騒ぎだった。
そしていつしか、旅にでた者は正月に大陸のど真ん中にあるエアーズロックの上で一度再会しようということになり、また盛り上がった。
これから僕のだいたいの行程としては人の密度が多い東海岸を北上して、ある程度バイクも人も慣らしてから、時計と反対まわりで、人のいない人のいない厳しい西海岸へと周る予定。
正月は初日の出を、エアーズロックの上から拝もう。
タニアにいるスイサンという男と途中まで道中共にすることに。
この男スイサンというのは水産大学出身な訳で、一合升を持ってきていて、 各地で、日本酒飲みながら釣りをするという九州男児だ。
そして僕は、イージーライダーか、マッドマックス、のバイク映画で分けるとすれば、マッドマックス世代、だけどイージーライダーに登場する男の、はかない「自由」の雰囲気に憧れた。
XT250で一周から帰ってきた、タコヤキと言う男に、ギターをもらった。
毎日これで、ボブ・マーレィを歌ってたそうだ。
ここに置いておいてもしょうがないから、旅のお供に持っていってくれと言う。そして壊れたら、たき火で燃やしてしまえばいいと。
お言葉どうり、ありがたくいただく。
これから先、ギターを持った渡り鳥の僕に、どんな自由があるのだろう。
準備も整い、いよいよ出発の日が来た。

つづく




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