昭和最後の初日の出の旅 大バカ2人組珍道中




話の発端は、去年の5〜6月にかけて、僕が北海道を周っていたときに始まる
 ある雨の日、枝幸YOUというライダーハウスの、大変きれいで親切なお姉さんに拾われ、そこにある、今までのバイク乗りの記録写真を眺めていた。
すると、そこには信じられない写真があるではないか。
 元旦に、しかも、バイクで、宗谷岬にテントを張って、初日の出を拝んでいる奴がいる。
「うーむ。…」うーむなのである。
今の僕の常識を越えた真の大バカ者が、バイクで元旦の宗谷岬に集まる。これこそ、僕の求めていた世界だ! 「俺も行くぞー!」



  これが僕の、一年前の北海道だった。
その時の出来事を、帰ってから、今回の相棒となる大塚君に、話してやった。すると、「俺も行く」と気安く返事した。
「バイクはどーするん?」
「VFでいくでぇ」
「ちょっと待ってくれ」
…と僕は、北海道の冬とはどういうものなのかを説明したが、自分自身体験した訳ではないので今一つ説得力に欠ける上、大塚君は、VFで行けない所はないと、本気で思っている。
彼はなんと、VFを3台も持っている、VFパラノイアなのだ。そこで、なんとなく、これといった決め手がないまま、彼の発言を受けとめた。
 そして冬がやって来た。
 忘れていると思っていたが、彼に試しに聞いてみた。 「正月、行く? 北海道」
「とーぜん」
 あくまでも本気らしい。僕としてはVFで行くのはやめてほしいのだけど…。
 いろいろ話し合ったが、僕らは準備もそこそこに、12月27日の舞鶴発小樽行きのフェリーの最終便に乗り込んだ。
 結局、大塚君の主張が通り、彼は愛車・VF400F(走行5万KM)で、僕は、友人から借りたパリ・ダカ250で、元旦の宗谷岬を目指す事にした。

■12月27日

 フェリー乗り場に行くと、そこにはオフロード車3台と、3輪の50ccがいるではないか! 「あほはどこにでもおるもんやなぁ」と少し安心した。  船が港を出る頃には、神戸でGPZに乗っている、北海道病のNTT2人組に酒をご馳走になり、すっかり酔っ払ってしまった。  外海に出ると、えらくしけて、船内から見えるのは、海、空、海、空の繰り返し。  で結局酔ってしまい、食べた物は全部日本海に消えた。体がゲロ臭くなり、小樽に着く頃には、自分一人だけ、ほとんど死んでいた。

■12月29日

 朝、目が覚めると、甲板に雪が積もっていた。
 いよいよ北海道が近くなってきたのだと思うと、緊張してくる。
 僕は頭の中で、流氷に囲まれた宗谷岬に、XLとVFを並べて初日の出を拝んでいる図を、何度も思い浮かべていた。
 それは、成功率70%との読みで出発したのだ。

■12月30日

 朝5時、小樽に着いた。まだ暗いが、雪が一面に積もっているのが、うっすらとわかる。
 トレーラーの頭の部分だけの車が、凄い勢いで、雪の上を走り回っていた。 「来てしもた」。
 船酔いと興奮で、頭がくらくらしている。
 待合室で休んでいると、一緒に船に乗り合わせていたオフロード車の人が、声をかけてきた。
 ところが、その人からいろいろと話を聞いていくうちに、段々と悲しくなってきた。
 まず、タイヤ。これはスパイクじゃないと話にならないそうだ。
 次に、流氷、は2月にくるものだそうだ。加えて、海沿いは、風が強い日は、車でさえ進めなくなる位だとか。  全然知らなかった。
「なぜ、僕らは、ここまで来んと解らんのやろ…」つくづく情けなくなる。
 僕らは後輪のチェーンと、根性だけでなんとかなると思っていたが。

 彼らは、冬の北海道の常連ですごく豊富な知識を持っていた。
 僕らのようなビギナーは、ここでは、出る幕はない。
 よくよく考えてみると、そもそも今回の計画は一枚の写真を見て、一人で勝手に感動して、後は自分の想像力をもとにすべてを準備したのだから、こうなったのも至極当然のことだろう。
 夜が明けると、彼らは完全装備で、宗谷岬を目指して行った。思わず、その人に僕の分まで初日の出を拝んどいてと頼んでしまった。
 もう成功確率1%以下、だがそれを大塚君に伝えても「いいや、根性で行く」と言いはる。まぁここまで来たのだから、行けなくてもともと、行けたら天狗!日の出まであと48時間、行けるところまでいったれー!
 VFとXL、それぞれ後輪にチェーンを巻き走り出すが、1KMも走り出さないうちにいきなり国道でVFが転倒。
 思ったよりも車の流れは早く、朝の通勤ラッシュも重なり、ブレーキがかけられない。
 再びVFが転倒。雪で滑ってバイクと体がくっつき、取れない。おまけに、体がダルマの様なので、お互い身動き出来ない。
 後続の車はその度に急停止。国道は僕らを先頭してのろのろ運転。路肩は雪でなくなっているし、どこにも逃げられない!車はほんと迷惑そうな顔していた。
 すれ違う車は、指をさして驚く人怒った様な顔をする人、爆笑している人とさまざま、あのVFででここを走る奴は、まずいないやろな、やっぱり。
 それでもなんとか2人ともコツが解り、あまりこけなくなったけど、スピードは10KM/h。国道はパスして裏道に進む。VFが20回程こけて昼飯を食う事にした。
 ラーメン、味、OK!
 石狩辺りからは車はいなくなり、なんとか自分なりのぺ−スが掴めてきた。先行するVFがこけるのを見て、笑う余裕もでてきた。
 とにかく北へ進む。

 途中で雪かきのお兄さんに「どこへ行くんだぁー!」と聞かれ、「一応宗谷岬までぇー」と答えると「よしなさぁーい」と言われるなど、出発してからここに来るまでに、かなりの数の地元の人から「悪い事は言わないからやめておけ」と、忠告、助言、中傷を受けながら、最後は、聞かれても「宗谷岬に行く」などと大それた事は言えず、「まぁちょっとそこまで」とごまかして返事した。
 231号線を少しずつ北上した。すると、雄冬岬が雪で通行止めになっていたので、仕方なく、滝川経由で留萌方面に進む。
 もうだいぶ時間が経つ。
 道は山道になり、雪が深くなり、両脇に高く積み重なり、まるでボブスレーのコースのようだ。
 ただ僕らは、その溝を進んでいるだけ。どこにも寄れない。黙々と山道を10Km/hで進む。
 段々と暗くなってきて、テントを張る場所を捜すのだけど、雪で、どこにも行けない。
 仕方なくバイクを道路の雪壁に押し込み、除雪車に巻き込まれないように目印を付けておいた。
 道の上の雪にテントを張り、雪を溶かして飯を作った。
 まだ宗谷までの5分の1も来ていないと思う。
 夜中に、通りがかりの車に「こんな所にテント張ってるうー」「大丈夫か? 寒くないか?」と心配して声をかけてもらったが、なんだかとても非常識な事をしているみたいで、申し訳なかった。

つづく



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