2009

 残せ!祝20周年の足跡 「副題 検証トランクバイク」その2

元旦

車を揺らせてもらって目が覚めた。 今日も曇天、所々雪、初日の出は無理っぽい。 日の出の時刻に花火がなっていたが眠い、外にはいつもの行列がない。 よくみると、いつもと違う場所でキーホルダーを配っていたようだが、一通りのイベントは終わったっぽい。
慌てて配っている輪の中にヤマモトさんと入るが、「8 7 6 5」とカウントダウンしている。
「はいこれで終わり」干支のキーホルダーは僕で最後となった、 年賀状となっている最北端証明書も残り数枚だった。僕の後ろに並んだヤマモトさんはもらえなかった。多分1000個は用意しているこの記念品なのに、 こんな事になるとは!
ヤマモトさんは僕に遠慮して、「どうぞ20周年の記念として、もらってください」と言ってくれる。 5回目の、「助かったー」
この干支のキーホルダーは、もらった人に取っては「ふーん」って感じだけの印象で終わるかもしれませんが、ここ目指すボクたちにとっては、唯一形に残る、 公式?な物、それぞれに想いはあるはずだ。

今年は雪がなく、宗谷の岡の方の記念碑群にもモトコンポで登ってみた、足跡の写真を撮らなくては。
今年は年末に降ったらしいが、雪が溶けたようで、冬の雰囲気がしない、駐車場も水たまりだ。
エスプレッソコーヒー立てて、ゆっくりめに宗谷を出る、今度ここ来るのはいつだろうか?

昼過ぎにサロベツの海岸線に着いた、今年は雪がないので海岸線までバイクで降りる事が出来た。
湿った砂の上に、きれいな足跡がついた「!」絵になる風景探す為に、夢中になってあちこち走り回った。
誰もいない、飄々とした風景、午前中は雪が降っていたけれど、ここでは青空が時々見え出した。
今回の20周年、出発のドタバタからなかなか気分転換できなかったけれど、この先の見えなくなるまでの浜で2時間ぐらい いて、エスプレッソコーヒーなんか作って飲んでゆっくりしたら今年も来て良かったとしみじみ思い、気持ちがすっきりした。
元の道まで上がってきたら、小さなお地蔵さんの祠があった。存在は知っていましたが特に気にした事はなくオート3輪でこけたのもこの辺りで、半日ここに居た事も、 あったけれど気にしませんでした。今回はなぜか、祠の扉を開けてみました、中にはノートが置いてあり、念仏を唱えると願いが叶うお地蔵さんでした。
人があまり通らないこんな場所に、でも比較的奇麗に手入れされ、お供え物もけっこうあります。
書いてある通り念仏を唱えましたが、さて、よく考えると願い事は特にありません。代わりにこの天気のお礼を言っておきました。
その後、豊富温泉でゆっくりしてから、羽幌を目指します。思ったより遅くなり、真っ暗な道をひた走る、やっぱ移動は明るい方がいい、肩が凝る。
地元の車が変な所で2台止まっている、しばらくしてカーブの先に鹿の家族多数。急?ブレーキで敷く事はなかった、6回目の「助かったー」 その後もう一度鹿が道に出ていた、うちの所も田舎なので鹿は珍しくないけれど北海道の鹿はふた周りでかい!やっぱ食い物がいいのか?鹿よ!
もうずいぶんの夜になった気分でしたが、6時頃吉里吉里に着いた。

ここの夕ご飯一食があれば後はどれだけ貧食でも我慢出来る、今回のメインディッシュはチキンの丸焼きでした。無口になる男3人。
そして一言「うまい!」
今回の客はつっしーさん、ヤマモトさん、そして僕の3人、お馴染みの顔ぶれ、全員申し合わせたように軽のバン、「軽バンオーナーズクラブ?」新規の客が居なかった、全体に最北の滞在者は少なめだったと思う、
景気のせいか、年末の悪天候のせいか、、。最北端のメンバーも入れ替えの潮目か。

3日

北海道ラジオ「日高晤郎ショー」が聞けた。AMラジオ聞く事が多く、北海道に来たらこの人のトーク聞くのが 楽しみの一つとなった。雰囲気がきみまろっぽいが、こんなのが好みなんて、ちょっと年取ったかな、厄年過ぎたしな。
淡々と走り、20周年なので、あまり道草せず、所々停まってはまた進んで行く。石狩、小樽に着く。
車中泊しようかと思ったけれど、健康ランドオスパに泊まる事にした。
露天風呂があまり熱くなく、長く風呂に入れるのがいい。
休憩室に、若い兄ちゃんがいた、僕と同じガラム吸っている、同胞だったので声かけた、
同じ京都北部出身、音楽好きで、自作のボンゴ持っている。フリーターで、スキー場のバイト辞めて、フラフラしているとの事。
金がないので、夜町中歩いて、朝になったら健康ランドで仮眠するそうだ。
金が無ければ、自動販売機の下に落ちている小銭集めるそうで、一晩で3000円稼いだこともあるらしい。
なかなかの強者、テレビラジオでは、連日、派遣切りで政府になんとかしろと集まって対策を訴えている人も多いのに、この兄ちゃんとは全く種類が違う。
夜中に、タイマーズの音楽鳴らして聞いていた。この生活を楽しんでいるようだった。
おかげで次の日も退屈しなかった。


4日
盗難防止の為、モトコンポをポールにくくり付けて 昼過ぎ札幌に戻り車を返す、つながれた犬みたい。
道草したので、昼もだいぶ過ぎ、指定の郵便受けに車の鍵を入れて、そこからは最寄りの駅から電車で小樽に向かう。
札幌の町は大きくどこにでもある地方都市に思える、自分には特に用事もない町だ、日も暮れだんだんと暗くなってきた、
銭函あたりで、暗い海沿いを走る。
始めて北海道に来たのは15の時、青春18切符使って北海道に来た、その時夜行列車で北海道に上がって見た海は、紺碧だった。それは、この海岸だったかもしれない。
小樽にはでかいショッピングセンターがある、人がいっぱいいて中にはタンクトップの男もいる。
どんな皮膚感覚なのだろう。厚着しているのはだいたい内地からの旅行者で、薄着でおしゃれしているのは地元の人だと思う。
夜になって今夜同じ便に乗るつっしーさんがターミナルにやってきた、帰りはモトコンポを車に乗せてもらう事になったので、フェリーチケット払い戻しした、バイク運賃が浮いた。
その分で今夜は寿司だ。回転だけれど、、、。

北海道のお別れにガラムの兄ちゃんにタバコお裾分けして、23時30分発の船に乗った、帰りは2等なので席は早い者勝ち、列に並んでダッシュ! しかしここで走ってしまっては大人として品位が問われるところ、長い歩道で、競歩のように抜きつ抜かれつ地味なバトル。4人抜いて2等は窓側の特等席ゲット!
すぐにデッキに出で北海道の大地とお別れ。ここら辺の流れは毎年同じですなあ。
波の高さは行きの半分の2メートル、これはほとんど揺れないってこと。 カップラーメン2個食った。

今回の滞在費の総予算、25000円を守る事できた。エコノミー旅行だ?! ほぼ定刻通り到着、ツッシーさんはこれから広島まで帰るそうで、出発地点の置き場まで送ってもらった、今回最後の「助かったー!」
てな訳で、2009年のツーリング?っていうのか?20周年アニバーサリーは終わった訳です。
今回のツーリング振り返ってみると、周りののお力がなければ、成功しませんでした。
偶然も重なり、ほとんどモトコンポ自走で走らせる事無く、駒を進められました。
合計4台の車乗り継げました、モトコンポのコンセプト、「トランクバイク」としての検証は十分できたと思います。
20年前は全て自力で準備し、失敗を繰り返してきましたが?今回は双六ゲーム感覚です。
冬期に走るライダー達は、それでもツーリングを楽しむ為に、日程を有効に使い、あちこち走り回りますが、トラブルのリスクが高くなり僕はあまり道草しません。
毎年最短距離の海沿いを往復するだけです、時間帯もだいたい決まっているので、その為に立ちよる店も休憩する場所も決まっています。
今では、道中あらゆるところに思い出?の場所や物があります。
始めて稚内に着いたときは、「最果てまできたーっ!」って感じですが、今は最果てではありません、知り合いも出来、かけがえのない道となっています。
この20年で抜けた年もありますが、ざっと見てここに来る人たちも4−5回転ぐらいしたと思います、初期の頃ここであった人たちは今何をしているのでしょうか?
相変わらず僕はこのように最北端にしがみついています。他にも数人はコンスタントにここにきている人がいますが その人も僕と同じような気持ちだと思います。

最終日、モトコンポのオーナーの滝井さんより連絡があり、20周年のお祝いとしてこのバイクをプレゼントしていただきました!
正月早々ビックさプライズです、このモトコンポが自分にとって形に残るすばらしい記念品となりました。 ありがとうございます、ずっと大事に乗り続けたいと思います。


追伸 キーホルダーもらえなかったヤマモトさん、ツッシーさんが予備で一個もらっていたので無事手に入れる事ができました、やれやれおまけの「助かったー」

足跡ベスト3画像

END