「交わるべき二つの曲線AとB」

 吉川俊則が、電車から降りると、外では雨が降っていた。天気予報では、とくに雨が降
るとは言ってなかったので、俊則は傘は持って来ていなかった。
 待ち合わせは、駅前のゴマタレブーという喫茶店。俊則が、店内に入ると、長田道男は
すでに来ていた。
「よぉ。」
 道男は、俊則を見つけると、テーブルで手招きした。
「時間通りやな。女が絡むと違うのぉ。」
「やかましぃ。」
 俊則と道男は、これからお見合いパーティーに行く事になっていた。俊則は八百屋の息
子。道男は魚屋の息子。商店街の仲良しコンビである。
「どんなん来るやろうな。」
 道男は、俊則がコーヒーを注文するのを待ってから、身を乗り出して言った。
「女の会費が3500円。安いからのぉ。期待せん方がええやろ。」
「そうやのぉ。」
 道男は、ドスっとイスに腰を落とした。
 俊則と道男の両人は、とくに容姿が悪いという訳ではない。恐らく、普通に女性と出会え
たのなら、お見合いパーティーなどに行かなくても、彼女は出来ていただろう。
 しかし、二人とも父親を亡くして、家業を早くから継いだ事もあって、なかなか彼女を作る
機会に恵まれなかったのである。
 しかし、俊則も道男も、どうしても彼女が欲しいと、あせっている事はなかった。無理に探
しても、ロクでもないのを彼女にするのがオチだと思っていたのだ。ところが、親の立場と
したら、そうもいかない。
「見てくれや。これ。」
 道男は、着ているスーツの襟をヒラヒラと動かして見せた。
「似合わんやろ。我ながら七五三やで。」
「俺もや。」
 俊則も、落ち着きなく身体を動かしたり、肩を回したりしている。
「何とも窮屈やのぉ。」
「ほんまに・・・。」
 俊則と道男は、ほとんど同時に苦笑いして、コーヒーに手を伸ばした。            1

 この日、俊則と道男が着ているスーツの代金は、両方の母親が出していた。親としては、
いつまでも彼女を作ろうとしない息子がじれったいのである。
 俊則も道男も来年28歳になる。今時、そんなに急いで結婚する歳ではないのだが、昔
ながらの商店街の人々は、そうは思わないらしい。
 世間体がある。店の事もある。孫の顔も見たい。年老いていく自分を感じる度に、息子
の事が心配になるのである。
 近頃では、そんな母親の様子に気付いた俊則と道男は、しょうがなしに、お見合いパー
ティーに出る事にしたのである。
「ま、親孝行やな。」
 俊則達は、親達の気持ちを尻目に、いたって呑気な心構えだった。
 お見合いパーティーの会場に、二人が入ったのは午後1時55分。開始が2時からなの
で、ギリギリである。
「あんまり、はように行ったら、飢えてるように見られるからの。」
 道男の提案である。
 会場になっていたのは、町で一番大きなシティーホテル。会場の中に入ると、結構な人
数が入っていた。男女合わせて80人程。みんな会場の端にかたまって居た。
「俺らぁのとこに、こんなに人おったんやなぁ。」
「ほんまやなぁ。しかも、みんな独身かいや。」
「かぁ〜、大変やねんなぁ。」
 まったく、呑気な二人である。
 大きなテーブルが真ん中に3つ。そこに、ドリンクや料理が盛り合わせてある。そして、
そのテーブルを囲むように、二組ずつペアになったイスが並べられていた。
「立食パーティー式やな。んでも、あのイスは何やろ。」
 俊則が並べてあるイスに、疑問を抱いていると、マイクを持った男が会場に入って来た。
「皆さん、ようこそいらっしゃいました。」
 ヘラヘラした感じの男だ。どうやら司会をするらしい。
「それでは、お見合いパーティー・イン・・・。」
 司会の男は、パーティーの開始を告げると、男を会場のはしに一列に並べて、女をテー
ブルの周りに並べてあるイスに座らせた。
「さて、男性の方は、女性の方の向かい側に座って、自己紹介をしてもらいます。時間は、
3分です。3分経ちましたら、また隣りの席へ移動して、向かい側の女性に自己紹介して
いって下さい。」                                              2

「かぁ、マジかいや。」
 会場が、俄かに騒がしくなった。
「まさか、こんなんやとは・・・。」
 俊則も思わず声を出した。
「まぁ、しゃぁない。いっちょう、やったろか。」
 道男は、自分に気合を入れるように言う。さすが魚屋だ。サッパリしている。
「せやな。どうせサクラも、いっぱい混ざっとるんやろ。せいぜい、楽しませてもらおか。」
 俊則も腹を決めた。さすが八百屋だ。サッパリしている・・・。どうせ、俊則も道男も本気
ではないのだ。
 男性陣は、番号順に並んでそれぞれ、女性陣の向かい側の席についた。俊則と道男は
隣り同士だ。前に座っている女は、実にやる気なさげである。恐らく、サクラだろう。俊則は
そう思った。
「それでは、スタートです。」
 司会の合図で、自己紹介が始まった。が、俊則としては別に話す事なんてない。お互い、
名前を言ってから無言になった。気まずい空気になる。ふと、隣りの道男の声が耳に入っ
た。趣味を聞いているらしい。俊則は苦笑いで、
「趣味は?」
 我ながら、くだらない。そう思った・・・。
 さんざん会場を騒がせた自己紹介の時間は、思ったよりアッサリと終わった。その後、会
場は、いよいよ立食パーティーのようになった。
「おつかれ。」
 俊則のところへ道男がビールを持ってきた。
「どない?」
「せやな。ま、こんなもんやろ。」
「俺は、結構ええ感じの女みつけたで。」
「へぇ。」
 道男が軽く手を振ると、テーブルの向こうから手を振り返してくる女がいた。
「ほな、ちょっと行ってくるわ。」
「おう、せいぜい、きばってくれや。」
 俊則は、道男が去った後、会場の隅の壁にもたれかかった。シラケた気分だった。道男
から渡されたビールを飲みながら、会場の連中をしばらく眺める事にしたのだ。        3

 改めて見ると、いろいろな奴がいるもんだ。俊則は、ビールを一口含んで思った。派手な
スーツで来てる奴、ジーンズで来てる奴、ベタベタの髪の奴、サラサラの髪の奴、化粧の濃
い奴、ノーメイクな奴、細い奴、太い奴、ここはちょっとした宇宙だな。ふと、可笑しくなって笑
った。
 しかし、すぐに俊則は、笑ってしまっていた自分に気がつくと、首を振った。
「俺は、いったい何しに来たんや。」
 俊則は、そう言うと持っていたビールを一気に飲み干した。
「わたしは、王子様を探しに来たの。」
 突然、俊則の横から声がした。声の主は女で、いつの間にか俊則の横に立っていた。俊
則は気付いていなかったのだが、会場の連中を眺めていた時から横に来ていたのだ。
「でもね、ここには居ないみたい。」
 驚いている俊則を気にもとめない様子で、女は話し続ける。
「でもね、夢の中の登場人物を増やすのにはいい機会ね。だって、夢の中に出てくる人っ
て、初めて見る顔は無いんだって。ホントよ、心理学の本に書いてあったもん。」
 女の胸元の名札には、里中美智子と書いてある。先程の自己紹介の時に、お互い名乗
り合ったのだろうが、憶えていない。
「という事は、時々、増やしてやらないと変化がないし、あきちゃうって事よねぇ。」
 美智子の背の高さは中ぐらい。容姿は良くもなく、悪くもない。つまり、普通である。自己
紹介で、いったい何を話したのだろうと俊則は考えていた。当然、趣味は聞いたはずなの
だが・・・。
「あなたは何しに来たの?」
 俊則は、いきなり訳の分からない事を聞く美智子に、返す言葉がなかった。
「え〜と、吉川さん。あなたも本気で相手を探しに来たんじゃないんでしょ?」
「・・・・・・。」
「それとも、好みの女の子がいないの?」
「両方やな。」
 俊則は、やっと答える事が出来た。しかし、変な女だ。さっきから訳の分からない事をし
ゃべっている。俊則の美智子についての第一印象は、こんな風だった。
「変な女だと思ってるでしょう。」
「うん。」
 素直で正直な奴。美智子が後に語る俊則の第一印象は、こんな風だったという。
「ハッキリ言うわね。でもね、そう言うあなたも変わってるわよ。」                 4

「しかし、いっぱいおったよなぁ。」
 お見合いパーティーからの帰りの電車の中で、道男は思い出したように言った。
「せやな。」
「カップルは、さっぱりやったけど。」
 立食パーティーの後、告白コーナーという、男性が気になる女性に告白するものがあっ
た。女性がOKすれば、カップルの成立なのである。
「まったく、あんだけおって、たったの3組やねんから。」
「そう言うおまえは、何であの娘に告白せなんだんや?」
「あの娘って、誰や?」
「ほら、テーブルから手ぇ振っとった奴がおったやろ。」
 道男は、顔をしかめると、
「タイプやない。」
 そう言うと、窓の方を向いた。
「そうかぁ。あの娘、うらめしそうにおまえを見とったぞ。」
 告白コーナーが終わると、すぐに閉会だったのだが、退場する道男を見つめる女がいた
のを俊則は見ていたのである。道男は、何も答えずに黙って窓を見ている。
 変な女だった。俊則も窓の方を向くと、里中美智子の事を思い出していた。美智子も退場
する時、俊則の事を見つめていたのだ。
「そう言うたら、おまえもええ感じになっとったんとちゃうんか?」
 道男が不意に、俊則に言った。俊則は、ちょうど考えていた時だったので、少し動揺した
「あ、あれは、そんなんとちゃう。」
「怪しいなぁ。何か密かに約束しとるんとちゃうやろな。」
「アホか。」
 俊則は、我ながら呆れるくらい熱弁を奮って道男に弁明をした。すると、道男は、
「ええ感じに見えたんやけどなぁ。」
 そう言うと、また窓の方を向いて黙り込んだ。俊則も、別に話す事がみつからなかったの
で、二人ともそのまま黙って、家に帰った。
「どうやった?」
 俊則の母は、俊則が帰ってくると、待ちかねたように聞いてきた。
「あかん、あかん。サクラばっかりや。」
「何や、サクラって?」
「本気で来てる奴は、おらなんだちゅうことや。」                           5

 それを聞いた俊則の母は、明らかにガッカリした表情をして、
「そうか、あかんかったんかぁ。」
 と、つぶやくように言った。さすがに、俊則は、そんな母の様子が哀れに思えたのか、
「まぁ、何とかなるって。今度は、ちゃんと見つけてくるさかい。」
 気休めを言った。
「お父ちゃんが、生きとったらなぁ。」
 俊則の母は、俊則の言う事が聞こえぬ様子で、更につぶやいた。
「お父ちゃん?お父ちゃんがどうしたん?」
 俊則の父は、俊則が中学生の時に癌で死んでいる。
「お父ちゃんが、あんたに許婚を決めとったんや。」
「いいなずけって・・・マジで?」
 俊則は、耳を疑った。
「許婚って、あの許婚やろ?」
「そうや。他にどんな許婚があんねん。」
「て・・・・・・。」
 俊則は絶句した。当然だろう。俊則の年代で、許婚などというものを体験した者は、俊
則の周りにはいない。戸惑うのも無理はない。
「そやけど、家は八百屋やで。」
「なんや、八百屋が許婚をもろたら、あかんのか。」
 俊則の母は、怒気を含んだ口調で言った。
「だってや、ああいうもんは、俺はあんまり知らんけど、良家とかゆうのんがするんとちゃ
うん?」
「知らんけど、お父ちゃんは決めとったって、言うとったんや。」
「そしたら、相手は誰?」
 俊則は、あまりにも突飛な話しなので、母の言う事が理解しきれてないのだが、相手に
は、ふと、興味がわいたのだ。
「知らん。」
 俊則の母は、そっけなく答えた。
「し、知らんって。」
「そやから、お父ちゃんが生きとったら聞くんやないか。」
「あのなぁ・・・。」
「トゥルルルルル。トゥルルルルル。」
 俊則が、母に何か言い返そうとしたら、電話のベルが鳴った。                 6

「なんや、おまえか。」
 電話は、道男からだった。道男の母親も、大層、ガックリしたらしい。今から、少し出な
いか。という内容だったが、先程から激しくなった雨音を聞いて、億劫になった俊則は、
「今日は、もうクソして寝るわ。」
 鄭重に断った。俊則は、店に出るのも億劫になり、母親に店をまかせると自分の部屋
に行く事にした。母親は何も言わずに見送った。
 部屋に入ると俊則は、読み散らかされてる雑誌類を踏みながらベットのところまで行き、
寝転がった。
 そして、今日あった事を天井を見ながら思い浮かべた。スーツ。喫茶店。シティーホテル。
お見合いパーティー。軽薄そうな司会者。自己紹介。里中美智子。許婚。中でも、美智子
と許婚の部分は、何度も俊則の頭に浮かんでは消えた。
 許婚か。戦前までの日本ならまだしも、今は平成なのだ。俊則は、そんな事を考えなが
ら寝返りをうった。壁に貼ってあったヒッチコックの映画、[ダイアルMをまわせ]のポスタ
ーが、目に入った。映画雑誌の付録についていた物だ。
 俊則は、しばらくそのポスターを見つめていたが、急に起き上がった。そして、部屋を出
る。向かったのは、父親の部屋だ。本人は書斎と呼んでいたが、物置のような狭い部屋
だ。父親が死んでからも、中の物はそのままにしてあった。
 俊則は、父親の部屋へ入ると、何かを探しだした。それは、父親の日記である。遺産整
理のために、1度、父親の部屋の物を確認した時があるのだが、その時、日記もあった
のだ。
 ダイアルMをまわせ。ダイアル。ダイアリー。日記。日記になら、自分の許婚の事が何
か書いてあるのではないか。単純な思い付きながら、俊則は興奮した。
「え〜っと、確かここら辺にあったんやけどなぁ。」
 などと、独り言を言いながら、机の一番下の引き出しを開けた。無い。二番目の引き出
しを開ける。無い。引き出しを一つ一つ開ける度に息を呑んでいく。そして、一番上の引
き出しを開けた時、
「あった。」
 ワインレッド色の日記は、引き出しの中で、ひっそりと納まっていた。俊則は、早速、取
り出してみた。そして、何気に表と裏の表紙を見る。無地に近いシンプルな柄がついてい
るだけで、他に何もなかった。
 その後、パラパラと開いてみる。古くなった紙の匂いが辺りに漂う。日付が飛び飛びで
記入してあるのに気が付いた。
 どうやら、父親は、毎日、日記をつけていた訳ではないらしい。気が向いた時や特別な
事があった時に書いていたようなのだ。                               7

 いざ、俊則が読もうと思った時に、母親の声がした。夕食の時間らしい。
「あんな。」
 夕食の途中、母親が俊則に、許婚の話しをしてきた。
「あんまり気にせんときや。」
「あん。そんな、気になんか全然してへん。」
 さっき、父親の日記を探しておきながら、俊則は関心のない返事をした。
「そやったらええんやけど。お父ちゃんは、あれでいい加減なところがあったさかい。」
 俊則は、せかせかと夕食を口にかき込むと、立ち上がった。
「明日は、店たのむで。」
「分かっとる。」
 俊則は、自分の部屋に入ると、早速、日記を開いた。そして、10分後には寝ていた。
学生の時も、教科書を開いてはすぐに寝ていた。そういうところは、いくつになっても変
わらないようだ。
 次の日、俊則は、寝てしまった事を悔やみながら、仕事の合間に日記を開いて読んで
みた。人の日記を読むというのは、うしろめたくもあり、面白くもある。なんとも不思議な
気分である。
 読みすすめていく内に、それらしいものを見つけた。直接、許婚の事が書いてある訳
ではないのだが、[畑氏と約束。あと継ぎ]と書いてある。怪しい。畑とは誰だ?
「お母ちゃん、畑っていう人、知っとる?」
「知らんなぁ。」
 畑氏という人物のものらしい住所も書いてあった。所々、聞いた事もない地名が入っ
ている。
「お母ちゃん、これってどう読むんやろ?」
 俊則は、日記から書き写した住所を母に見せてみた。
「分からんなぁ。」
「そうか、地図あらへん?」
「地図ってか?家にはなかったんとちゃうか。そこの住所が、どうしたんや?」
「いや、行こう思って。」
「名前も読めんような所へか?」
「え、ええやんか。ちょっと、地図買ってくるわ。」
 俊則は、少しうろたえるような口調で言うと、店を出て本屋へ向かった。            8

「おう、何処行くねん?」
 俊則を後ろから呼ぶ声がする。振り向いてみると道男だった。
「ちょっと、本屋へ行こう思ってな。」
「ほう、エロ本か?付き合うで。」
「アホか。」
 結局、道男は本屋までついて来た。
「何や、地図かいや。どっか行くんか?」
 道男の問いかけに、俊則は曖昧な返事をして四国の地図を手に取ると、T県の所を開
いた。そして、俊則は、しばらく黙って地図を見ていたが、
「おい、これって、どう読むか分かるか?」
 近くにいた道男に、例の許婚に関係していると思われる住所を書いた紙を見せた。
「O町や。」
 道男は、チラっと見るなりそう答えた。俊則は、道男のあまりにも早い返答に驚いたが、
地図の索引でO町を探した。
 はたして、O町はあった。小さい町である。ここに謎があるのか。俊則は、O町が書いて
ある部分を見つめた。
「俺、帰るわ。」
 道男はそう言うと、俊則が返事する間もないくらいに急いで本屋を出て行った。俊則は、
道男の変な挙動が少し気になったが、O町への興味が大きかったので、そのまま本屋に
とどまって、もうしばらく地図を見つめてから、レジに向かった。
「あら。」
 俊則の進路を横切ろうとしていた女が、俊則を見て声を出した。里中美智子である。
「おお。」
 俊則も美智子に気付いて、声を出した。
「しばらくね。」
「そ、そうやな。」
 10分後、二人は喫茶店にいた。どうして、そうなったかは分からない。俊則の記憶では
美智子が誘った事になっている。
「昨日は、どうも。楽しかった?」
「まぁまぁ、やった。そっちは?」
 まぁまぁと、美智子も答えた。そして沈黙。何となく、気まずい雰囲気になった。       9

「でもね。夢の登場人物が、増やせたから良かったわ。」
 ポツリと、美智子が言った。
「そう言うたら、そんな事をパーティーで言うとったな。増えとった?」
 美智子は、首を横に振った。
「最近、夢を見てないから分からないの。でもね。多分、増えてると思うわ。」
「そっか。」
 また、二人共、黙り込んだ。俊則は、手元にあるトマトジュースのグラスを掴むと、ストロ
ーを口元にもっていった。
 ジュースを1口飲んで、テーブルに置く。そして、グラスに浮いているレモンの輪切りをス
トローで突ついて沈める。俊則は、何も言わずにそんな事を繰り返していた。美智子は、
そんな俊則の仕種をうつむき加減で見ている。
「わたし、そろそろ帰らなきゃ。」
 美智子は、俊則のトマトジュースが無くなるのを見計らって言った。
「せやな。」
 俊則は、美智子と別れてから時計を見た。1時間程、時間が経っていた。家に帰る途中
に、道男の魚屋を覗いてみた。
「おう。」
 道男は、店頭に並べている魚の値札を書いていたが、俊則に気付くと、声をかけてきた。
「どや、地図は見つかったか?」
 俊則は、手に持っている地図の入った袋を軽く振った。
「なぁ、晩めしを食った後に、家にけぇへんか?」
「何や。深刻そうな顔して。」
 道男が言うように、俊則はどことなく深刻な顔をしている。
「ちょっとな。話したい事があってな。」
「そっか。分かった。ほな、めし食ってから行くわ。」
 道男が、俊則の家へ来たのは、午後9時を少し回ってからだった。
「何や、話しって?」
 道男は、俊則の部屋へ入るなり、そう言った。
「あぁ、それなんやけどな。」
 俊則は、そう言うと、広げた地図を道男に差し出した。赤鉛筆で印がつけられている部
分がある。O町の部分だ。
「ここに行こうと思うんやけど・・・。」                                    10





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