「これは、お待たせした。」
 二十分くらい経った時、一人の大男が入って来た。着ている物こそ、くたびれてはいる
が、さわやかな印象を醸し出していた。年は、柿之助より二つくらい上にみえる。
「私は、猿島五寸と申します。」
 柿之助達、いや、正確には、柿之助が自分と大蜂の名を告げると、男は、ゆっくりとそ
う名乗った。
「不審に思われるかもしれませんが、貴殿に合力をお願いするために、京より書簡をた
ずさえて参った次第。」
 柿之助は、老人から買った紹介状に、半信半疑なところがあるため、やや、しどろもど
ろな口調になる。
「書簡は読ませて戴きました。引き受けましょう。」
「え?」
 柿之助は、猿島があっさりと、敵討ちの協力を承諾したのに驚いた。まだ、仔細は述べ
ていない。数行、書かれただけの書簡をみただけで、納得したのが信じられないのだ。
「馬糞先生の紹介を断る事は、私には出来ませんので。」
「馬糞・・・先生?」
 あの老人の事か。確かに糞の様な匂いはしていた。が、先生とは。老人と、このさわや
かな大男が師弟関係なのか。柿之助の頭は、混乱するばかりである。
 猿島は、そんな柿之助の顔色を読んだのか、少し笑って、
「ははは。馬糞とは、もちろん俗称ですよ。本当の名は、訳あって申せませんが、生れる
のが今より早ければ、天下を取っていたであろう人物です。」
 そして、自分は先生の頼みであれば、いつでも喜んで力になるつもりでいた。というよう
な事を続けて言った。
 あの物乞いの老人が・・・。只者ではないと思ってはいたが、そこまでの人物とは思って
いなかったので、柿之助は、ただ、驚くばかりである。横に座っている大蜂は、二人の会
話を理解しているのか、していないのか、無表情で猿島の顔を見つめている。
「大蜂、そんなに見つめるものじゃない。」
 柿之助は叱ったが、大蜂は見つめるのをやめなかった。仕方のない奴だ。ここに連れ
て来たのを柿之助は後悔した。
 猿島は、そんな二人のやりとりを気にもかけぬ様子で、
「先生の書簡によると、すぐには、敵討ちを仕掛けられぬ事になった様子。されば、決行
を急ぐ事は出来ぬが、計画は急ぐに限ります。早速、仔細を話しては下さらぬか。」
 実に落ち着いた口調で言った。                                    11

 ただ黙って、あぐらをかいている大蜂を尻目に、柿之助は事の顛末を話し始めた。元
々、柿之助は、そんなに饒舌でない為に、所々、詰まったり、同じ事を何度も言ったりし
たが、猿島は、黙って一々うなずいて聞いていた。
 こいつは大した人物だと、柿之助は話しながら思った。一を見て十を知るいう。そんな
感じが漂っている。自然、話しやすい。
 本来なら、猿島は柿之助などが、面と向って話しの出来る身分では恐らくないだろう。
しかし、藩という組織を抜け出した以上、身分は柿之助と同じ脱藩浪士なのである。
「されば・・・少数精鋭で、立ち向かわねばなりませんな。」
 猿島は、柿之助の説明を聞き終えると言った。柿之助もそうだと思った。根拠はない。
ただ、猿島が少数で当たるというなら少数だと思ったのだ。猿島にすっかり呑まれていた。
「わたしに、心当たりがあります。今から参りましょう。」
 猿島は、そう言うと立ち上がって、部屋を出た。柿之助達もそれに続く。そして、金魚の
フンのような状態で、三人並んで道場を出た。
 柿之助の観るところ、猿島は武術の方は、大した事はない。しかし、あの巨体に似つか
わしくない物腰。呑まれてしまうのだ。この男を前にすると、誰しも刀を抜く手が鈍るであ
ろう。猿島には、刀は必要ないのかもしれない。
 道場を出た後も、柿之助達は、猿島の後を並んでついて行く。何ともうっとりとした目で
である。二人は、呑まれたというより、惚れたという方が正しいようだ。
「これから訪ねるのは、蟹沢という男でして、陽明学をやっておりましてな、ここぞという時
には頼りになりますぞ。」
 猿島は、後ろを歩いている柿之助に向って言った。
「左様で。」
 柿之助は、やっとの事で答えた。
 しばらく歩くと、薄汚い長屋に着いた。猿島は振り向いてニッコリと笑って、長屋門をくぐ
って行く。当然、柿之助と大蜂も後に続く。
 長屋では、夕飯の仕度にとりかかる時刻らしく、長屋と同じように薄汚い女達が数人、外
に出ていた。そばを通る柿之助達を見る目線は鋭い。ヒソヒソと声が聞こえてくる中を猿島
は、気にならない様子でどんどん進んで行く。
「ここでござる。」
 猿島は、長屋の一番奥の扉の所で足を止めた。何やら中から、声が聞こえてくる。どうも、
経文を唱えているようである。                                   12

「蟹沢氏、入るよ。」
 猿島は、そう言って扉を開けた。
「何用だ?でくの棒よ。」
 驚いた事に、いつの間にか、扉のそばに男が立っていた。しかも殺気を放って・・・。猿島
は、さほど驚いた様子もなく、
「今日は、ちとお願いがあって参った。」
 後ろにいる柿之助達をチラリと見て言った。蟹沢という男は、色黒の顔に飛び出るように
ついている目で、猿島の後ろの柿之助をにらむ。殺気は消えている。しかし、眼光は鋭い
ものがあった。
「中へ。」
 蟹沢は短くそう言うと、奥に引き込んだ。後を追うように猿島が中へ入る。そして、柿之
助達も不思議な面持ちで、後につづく。
 六畳ほどの所に書物が、乱雑に置かれていた。陽明学に関するものらしい。先程、聞こ
えていたのも、経文ではなく、陽明学の書を朗読していたのだろう。
 蟹沢は、それらの書物を端に寄せると、柿之助達に座るようにうながした。猿島、柿之
助、大蜂と順に座っていき、蟹沢は最後に座ると、
「願いとは何じゃ?」
 身体をゆすりながら言った。猿島は、部屋の周りを見渡すと、声をひそめて、口外無用
に願うが。と切り出した。
「しゃらくさい。早く言え。」
 蟹沢は、立ち上がって言う。まったく、落ち着きがない。
「敵討ちの助太刀を頼みたいのだが。」
「敵討ちだぁ〜?」
「蟹沢氏、声が大きい。」
 猿島は、苦笑しながら言った。蟹沢は、ストンと座りこむ。
「これでは、誰にも言わなくとも、みんなに知れ渡ってしまう。」
「分かっておる。気をつける。仔細を話せ。」
 今度は、短い足をゆすりながら蟹沢が言った。蟹沢という男は、容姿、物腰、すべてに
おいて、猿島と反対だった。とても、猿島と親交があるとは思えない。柿之助は、そんな
事を思いながら、二人の会話の成り行きを見守った。                    13

「どうじゃな?」
 猿島は、仔細を蟹沢に話すと、返答をうながした。
「うむ。やろう。」
 蟹沢は、拍子抜けするくらいに、すぐさま喜兵衛の敵討ちの助太刀を承諾した。そして
立ち上がると、
「そうと決まれば、固めの盃といこう。」
「あい分かった。」
 猿島も立ち上がった。柿之助と大蜂は、取り残されたように座ったままだったが、
「さぁ、柿之助殿。大蜂殿もじゃ。行きますぞ。」
 猿島にしたがうように、二人とも立ち上がった。
「今日は、私が奢ります。大いに飲みましょう。」
 と猿島が言うと、蟹沢は当然じゃ。というような素振りをみせて外に出た。続いて猿島、
柿之助、大蜂の順に、蟹沢の部屋から出た。
 外に出ると、辺りはすっかり闇に包まれていた。冷たい風が、時折、柿之助の首元を吹
き過ぎていった。
 せかせかと、一人前を歩く蟹沢を柿之助は観察したが、そんなに剣術が出来るという風
には見えなかった。はたして、この顔ぶれで敵を討つ事が出来るのだろうか。柿之助は、
ふと、不安がよぎって後ろを歩く大蜂をみた。
 大蜂は、相変わらず口をへの字に閉じたまま、黙々と歩いている。この男、喜兵衛に、
どんな恩があったのか知らないが、敵討ちに臨む面持ちは、町人としては見上げたもの
である。必ず斬る。武士たる自分は、切らねばならん。柿之助は、前に向き直るとそう思
った。
 蟹沢は、酒には弱いようである。盃を三回くらい重ねたところで、顔が真っ赤になった。
小さい居酒屋の二階には、客は柿之助達しかいない。蟹沢は、良い気分になったらしく、
詩を吟じはじめた。
「いかがでござる。」
 紹介した手前、気になるのだろう。猿島は、柿之助に酌をしながら言った。
「あれで、面白い技を使います。」
 柿之助の心配を悟ったのか、猿島は蟹沢を弁護した。柿之助は、そんな猿島の弁護を
苦笑いで受けた。大蜂は、黙々と酒を飲む。酒好きなのか、それともヤケなのかは分から
ないが、手酌でみるみるうちに銚子を開けていく。
「おい。明日、拙者もお主達に引き合わせたい者がおる。」
 酒で赤くなった顔を光らせながら、蟹沢は言った。まるで数珠つなぎだな。少数精鋭とは
いえ、仲間は多い方がいいのだ。しかし、個性的な者が多い。ましてや、蟹沢の紹介する
相手に期待をしていいのか?
 柿之助は、湧き起こる不安を飲み込むように盃を空けた。                 14

 朝日が蟹沢の住んでいる長屋に差し込む時刻になって、柿之助は、大蜂の足が顔に当
たって目が覚めた。頭を掻きながら起き上がる。やや、意識がボンヤリとする。昨晩の酒
が残っているのである。
 昨夜は、四人共、大いに酒を呑んだ。特に柿之助は、訳の分からぬ不安を打ち消す為
にガブ呑みにも近い呑みようであった。
 柿之助は、水を飲む為にフラついた足取りで、水瓶のところへ向った。そして、やっとの
事で水瓶まで辿り着くと、水を飲みながら室内を見回した。
 六畳もないであろう室内に、蟹沢と大蜂が、寄り添うように眠っているのが見えた。柿之
助は、ひしゃくの水をもう一杯、飲み干すと、やや頭がスッキリしてきたのか、猿島が居な
い事に気がついた。
 しかし、不審に思う程、頭は働かない。
「猿島は、どこじゃ?」
 柿之助の水を飲む気配に気付いて、蟹沢が起き上がって言った。
「ふん。どうせ、そこいらの井戸で沐浴でもしているのであろう。」
 蟹沢は、そんな独り言にも似た言い方をしながら、立ち上がると、しっかりとした足取り
で、柿之助のいる水瓶にやってきた。呑んだ酒の量は、柿之助と同量。いや、それ以上
だったはずなのだが、この男に宿酔という言葉は無いらしい。
 蟹沢が、柿之助からひしゃくを受け取った時、猿島が戻ってきた。
「ほう、目覚めたようですな。わたしも先程、起きてそこいらをブラついておりました。」
 猿島は、部屋に入るなり、良く透る声でそう言った。すると、むぅ。という声を発して、大
蜂が目を覚ました。
「よし、さっさと仕度をしてくれ。会わせたい者がおるのじゃ。」
 蟹沢は、ノロノロと起き上がる大蜂を急かすように言った。
「何も今すぐ行かぬとも。」
「善は急げと申すであろう。」
「善であれば良いのだが。」
「何だと。」
 犬猿の仲ならぬ、猿蟹の仲だな。柿之助は、言い争いを始めた猿島と蟹沢をみて、そ
う思うのだった。
「それでは、会いに行こう。大蜂、すぐに仕度を。」
 柿之助は、放っておけば、何時までも言い争っていそうな二人を遮るように、大声で言
い放った。                                              15

 犬山という男は、中肉中背のどこにでも居そうな、これと言って特徴のない男だった。
「犬山鉄之進じゃ。」
 そう、蟹沢は言って、柿之助達に紹介した。よしなに。そう言うと、犬山は軽く頭を下げ
た。柿之助は、悪くない印象をもった。
「よし、この五人でやろう。」
 蟹沢は、首謀者のような口振りで言った。柿之助は、蟹沢が仕切るのに不安を憶えた
が、猿島が黙っているので、何も言わずにおいた。当然、大蜂も何も言わない。
「わしが思うに・・・。」
 そして、誰もが黙り込んでいるなか、蟹沢が一人で計画を語りはじめた。柿之助は、始
終、落ち着きなく動き回る蟹沢しか見ていなかったので、蟹沢の実力に関しては半信半
疑だったのだが、しばらくすると、計画の内容を熱心に聞き入っていた。
 なるほど。猿島が見込むだけの事はある。柿之助は、計画を語る蟹沢の事をすっかり
感心していた。
「どうじゃな?」
 蟹沢は、計画を語り終わると、柿之助に問い掛けてきた。やや口篭もって、いいと思う。
そう答えると、満足げに顔を歪めて、今度は猿島に問い掛けた。
「されば・・・わたしも、文句はない。」
「そうだろうとも。」
 猿島の返答を聞いた蟹沢は、子供の様にはしゃいだ声を出した。そして、大蜂、犬山と、
同じ問いかけをした。
「敵討ちの計画は、これで決まりじゃ。明日、仔細な事を話すゆえ、準備を整えて出発す
るぞ。各人、今日は、早く寝る事じゃ。」
「あい分かった。」
 犬山は、明日の出発の前にする事があるというので、一人帰っていった。柿之助と猿島
が、犬山を扉を出た所まで見送ってから中に入ると、蟹沢は、すでに夜具の中に入ってイ
ビキをかいていた。それを見た、柿之助と猿島は、顔を見合わせて苦笑いをした。
 次の朝、柿之助が厠から戻ってくると、猿島と蟹沢が、言い争いをしていた。柿之助は、
また、猿蟹の合戦が始まったと思い憮然とした。
 猿島と蟹沢。この二人は、仲が良いのか悪いのか、ちょこちょこと言い争いをする。しか
し、今、行われている口論は普段のものと様子が違っていた。                16

「何事か。よされよ。」
 放っておく事も出来なくなって、柿之助は止めに入った。しかし、蟹沢の勢は収まらない。
「うぬ。そのような時は、拙者、腹を切ろう。それでよいか?」
「おぬしが、そこまで言うのであれば・・・分かりもうした。拙者は、何も言うまい。」
 猿島がそう言うと、口論をやめ、二人とも押し黙った。柿之助は、何を言い争っていたの
だ?そう問いかけたい気持ちでいっぱいだったが、口論がぶり返すとやっかいなので、や
めておいた。

 夕刻になって、柿之助一行は、京へ向けて出発していた。予定より、遅い時刻の出発で
あった。しかし、装備の充実からか、皆の足取りは軽い。
 柿之助の右手には、新しい槍、大蜂の腰には、異様に長い刀が差してある。そして、身
体には、鎖帷子。武器などの装備は、出発前に、猿島の居た道場で手に入れた。ただの
町道場のハズなのだが、多様な武器や防具が、大量に保管されていたのだ。
 猿島の手引きで、テキパキと装備を整えていったのだが、全員の装備を整え、旅の準備
を終えた時には、夕刻になっていた。
 準備が出来た以上、すぐに出発じゃ。蟹沢のせわしない号令を合図に、急いで出発した
のだ。
「大蜂、そのような刀では、うまく操れまい。少し、短くしてはどうだ。」
 長刀を腰に差して、地面を擦るように歩いている大蜂を見て、柿之助は言うのだが、大
蜂は言う事を聞かなかった。
 大蜂は、百姓の出である。剣術も大した事はない。しかし、武士に憧れる気持ちは強い
らしく、長刀を選ぶのも、そのせいであろう。恐らく、戦闘となれば、一番、足手まといにな
るだろう。柿之助は、少しでも戦力になるように、道々、稽古をつけようと思っていたのだ
が、大蜂がこの調子では、うまくいきそうになかった。
 出発したのが、夕刻だった為に、そんなに進まない内に、すぐに辺りが暗くなった。
「どうする?泊まるかね?」
 猿島は、皆を見回すように言った。
「いや、今夜は月夜じゃ。もう、しばらく行こう。」
 蟹沢は、即答した。確かに月明かりで、道は見渡せる。旅の初日でもあり、体力もあっ
たので、皆、賛成して、もう少し進む事にした。しかし、他の旅人は、柿之助達とは違うら
しく、行き交う者は見かけなくなった。                               17

 突然、柿之助は足を止めた。前方の茂み中で何かが光った。そして、柿之助の様子を
察知して、猿島達も歩みを止めた。
「ほう。おぬしは、中々、出来ると見える。」
 蟹沢は、感心した口振りで、柿之助へ向けて言った。しかし、目線は光を放った茂みへ
向けられたままだ。
 柿之助達が、急に動くのを止めた為、待ち伏せが気づかれたと悟ったのか、黒い人影
が殺気を放ちながら、茂みの中から現れた。刀はすでに抜かれている。恐らく、この刀が
月明かりに反射して光ったのだろう。
「五人か・・・。」
 じりじりと、こちらに近づいてくる覆面の黒い影を勘定すると、柿之助は、槍の鞘をはず
した。槍の長さが、普通の槍より30センチほど短く加工している。
 蟹沢、猿島、犬山と、ほぼ同時に刀を抜いた。その様子に、少し圧倒される感じで、大蜂
が長刀を抜き放った。手元が震えている。
 そうこうしている内に、黒い影は、柿之助達から10メートルくらいのところまで近づいてき
た。今にも飛び掛かってくるような雰囲気だ。辺りに緊張感が漂う。
「大蜂、許せ。」
 柿之助は、そう言うと、大蜂に当て身をくらわせた。ぐう。という低い声を上げて、大蜂は
膝をついて、倒れ込んだ。相手は五人。こちらも五人。通常なら、一人に対して、一人の割
り当てという場面だが、大蜂は、今の腕前では、戦力としてあてにはならない。かえって、
闇雲に長刀を振り回されては、危なくてしょうがない。やむなく、寝かしつけたという訳であ
る。
 月夜に待ち伏せて、抜き身の刀に月の光を反射させる。こんな事には、馴れていない連
中なのだろう。柿之助は、そう判断した。五対四でも、引けはとるまい。
 はじめに切りかかって行ったのは、蟹沢だった。蟹沢独特のせっかちな動きが、相手の
間合いを狂わせて、巧みに打ち込んでいく。
「しゃっ。」
 覆面の男の刀が、蟹沢の袖口を掠めた。と、同時にその男は、袈裟懸けに身体を裂か
れていた。斬られた男が、倒れるとすぐに、別の男の刀が蟹沢を襲う。すかさず、刀をか
ざしてかわす。
「蟹沢さん!!」
 犬山が駆けつけて、蟹沢と入れ替わると、男の剣を代わりに受ける。その間に蟹沢は、
体制を立て直した。                                         18

「つぁぁぁ。」
 柿之助が、後ろに身を引いた時、別の覆面男の身体が襲いかかってきた。そして、槍
先が覆面男に突き刺さる。
「ぎゃ。」
 柿之助が、槍を繰り出したのではない。覆面男が自ら槍に刺さりに来たような感じであ
る。護身を主としている為か、自分から攻撃する様子はない。襲ってきた者が、槍の先に
吸い込まれ、貫かれるように向ってくるのだ。血の滴る槍を抜く。これで、覆面の男達は
三人。
 犬山の居る方で、短い悲鳴が聞こえた。柿之助が声のした方を見ると、犬山の足元に、
覆面男が倒れていた。あと二人。
 柿之助は、辺りを見回し、残りの二人を探した。一人は、猿島と打ち合っている。もう一
人は、見当たらない。逃げたか。苦戦をしている猿島の援護へ走る。
「ぬぉぉぉぉう。」
 猿島は、物凄い気合を放って、打ち合っている。太刀筋は良くないが、気合のおかげで、
相手がひるんでいる。しかし、それも長くはもつまい。
「拙者が代わる。どけっ。」
 蟹沢が、猿島を横から突き飛ばすような形で、覆面男の刀を受けた。鋭い金属音と共に、
焦げ臭い匂いが辺りに漂う。さっきまで、猿島の激しい気合を受けていた覆面の男は、相
当、体力を失っているらしい。ふう。と少し息を吐いた。
「きぇい。」
 瞬間、蟹沢は、目にも留まらぬ速さで、覆面男の横っ腹を刀ではらった。悲鳴をあげる事
もなく、横腹から血を吹き出させながら男は倒れた。
「ほう。お見事。」
 柿之助は、思わず感嘆の声を出した。蟹沢は、得意げに刀を鞘に納めると、
「こやつら、何者だ?」
 倒れている男の覆面を剥ぎ取った。
「知らぬ顔だ。長州の奴等か。」
「で、あろうな。」
 猿島は、顎をなでながら、うなずいた。されば・・・。何か言いかけて止めた。沈黙がつづく。
月の明かりに照らされて、黙り込んでいる柿之助達のそばで、大蜂の寝息がよく響いた。 19

「どうして、ここに居るのが分かったのだろう?」
 柿之助が、つぶやく。沈黙の中だったので、他の三人にも聞こえたであろう。
「臼井を侮るな。という事でござる。」
 猿島は、押し殺した声でそう言った。臼井天心。柿之助は、殺気の帯びた臼井の顔が、頭
に浮かんだ。そして戦慄する。
「されば、このまま、一同かたまって行動しておれば、相手にねらいを付けやすくし、襲われ
やすいだけです。京まで、散りましょう。」
 猿島は、口調こそ、皆に言っているようだが、顔は、蟹沢の方を向けたままである。
「よかろう。」
 猿島の顔つきが気に入らなかったのか、蟹沢は、怒気を含んだ声で賛同した。柿之助や
犬山も異議はない。大蜂も、恐らく反対はしないであろう。
 柿之助と大蜂。蟹沢と犬山。猿島は一人という風に組んで、それぞれがバラバラに京に向
かう。人選は、猿島がした。柿之助は、この人選には不安を感じた。これでは、猿島が危険
ではないか。その様な事を猿島に言うと、
「いやいや、心配には及びませぬ。拙者には、ここがござる。」
 猿島は、おどけたように、頭を指差した。そして、一人のほうが、自分にとって都合の良い
事であり、安全なのだと説明した。
 柿之助は、そんな説明を聞いて、不安が拭い去られた訳ではないが、猿島が、あまりにも
自信満々に言うので了承する事にした。
「では、京にて。くれぐれもご無事で。」
 京での集合場所を決めると、各人、小声で二言三言、口にして、それぞれ散開した。最後
に残った柿之助は、気絶している大蜂に活をいれる。意識が戻った大蜂は、大層、暴れたが
柿之助は、なだめながら、事情を手短に話す。随分てこずった。
 やれやれ、こいつには、剣術も道々、教えていかねばならないのだ。柿之助は、自分が道
中で斬り捨ててしまわないだろうかと思い、苦笑いするのであった。

 薄汚れた格好をした二人の男が、夕立の中、京に着いた。日差しは赤い。
「大蜂。着いたぞ。」
「・・・。」
 柿之助達であった。柿之助の格好も、相当、薄汚れているが、大蜂の方は更に酷く汚れて
いる。やつれているようではあるが、目が異様に光ってみえる。前に京から、出発した時に比
べて、数段、強くなったようである。                                 20





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