嫌な予感は的中した。訪問者は喜一郎である。随分、取り乱しているようだ。ただならぬ雰囲
気を察知したのか、秋山くんが玄関を覗き込んだ。
「こ、こいつか?」
喜一郎は、秋山くんの姿を見ると、喉の奥から絞り出すような声をだした。
「ほんとだったんだな・・・。」
「え?」
喜一郎は、今にも飛びつかんばかりに秋山くんを睨み付ける。目玉が飛び出してるよ。恐い
ねぇ。秋山くんは、喜一郎の勢いに呑まれてしまって立ちすくんでる感じだ。無理もない。突然、
訳の分からない状況に、出くわしているのだ。行動できる方がおかしい。こうなると、僕がしっ
かりしないとね・・・。僕は前傾姿勢をとった。臨戦体勢である。
「ふぐ、うぐぐ、ぐぉう・・・。」
喜一郎の顔が、みるみる赤くなり、意味不明なうなり声をあげながら、目線は秋子さんに移
動した。いよいよ危ないぞ。秋山くんは、相変わらず立ちすくんでいる。当然、秋子さんも・・・。
「フォ〜ン。」
「うぁっ。」
喜一郎の手が、秋子さんに組みかかろうという時に、僕は飛びついてやった。
「フギャン。」
痛っ。喜一郎が夢中で払った手が、見事に僕にヒットした。やはり、人間の力にはかなわな
い。秋山くん、きっかけは作ったよ。後はヨロシク。僕は地面に着地すると、これみよがしに大
袈裟に転がってみた。
「何するんですか。」
秋山くんが声をあげた。
「ウルセェェェ。」
喜一郎は裏返った声で怒鳴りかえす。顎をせりあげ、汚い言葉を吐く。何とも醜い姿である。
これが、この男の本来の姿なのだ。
「僕にはよく分からないですが、落ち着いて下さい。」
「このぉ、と、とぼけやがっけぇぇぇ。」
ん?クンクン。喜一郎、酒を飲んでるのか。ろれつが回らないのは、怒りのせいだけではな
いらしい。秋山くんは、必死になだめようとするのだが、この酔っ払いの耳には挑発の言葉に
しか聞こえないようだ。飛び掛かってくるのも時間の問題だ。僕は再度、前傾姿勢になった。
そして、時間がやってくる・・・。
「ころしてやるっ。」
「フゴォ〜ン。」 21
「パシィッ。」
今まさに、喜一郎へ飛びつこうとしたところで、大きな音がした。辺りが凍り付いたように静まり
かえる。飛びつくタイミングを失った僕は、前傾姿勢のまま喜一郎を見つめるかたちになった。
喜一郎も、先程の勢いはどこかへ行ったようで、唖然とした顔をして固まっている。
しかし、すぐに息を吹き返したように険しい顔になると、秋子さんに向って、何やら言おうと口を
開け・・・。
「パシィン。」
再度、大きな音がした。音の原因は、秋子さんの平手打ちの音だった。もちろん、打たれた相手
は喜一郎である。さすがに、2回目の平手は効いたらしい。何も言おうとしない。
「もう、いい加減にしてっ。お願い・・・。」
秋子さんは、叫ぶように言うと、崩れるように座り込んだ。
・・・お願い。秋子さんの身体へ擦り寄ると、泣きながらそう呟いたのが聞こえた。無性に怒り
がこみ上げてくる。フーッ。もう、許せん。八つ裂きにしてやるっ。僕は、呆然と立ちすくんでい
る喜一郎を睨みつけた。
「キャァ〜、どうしたんですかぁ?」
え?まよ?どういう訳か、まよがドアの外から叫んでいる。こんな時間に、どうしたのだろう?
おかげで僕は、またまたタイミングをはずされてしまったのだ。オイオイ・・・。すっかり戦意が消
失してしまった。僕だけじゃなく、喜一郎や秋山くんも、この訳の分からない展開に、ついていけ
ずに目を丸くしている。
そして、そんな2人と1匹を気にも留めないように、更に展開していく。
「誰かぁ、来て下さぁい。」
まよは、間延びした感じに聞こえる声で、助けを呼んだ。
「あ・・・。」
秋山くんが、小さく声をもらした。玄関に、2人の男が音も無く現れると、喜一郎の両脇を抱え
て外へ連れ出して行く。えらく都合よく現れたものだ。あまりにも鮮やかな手際なので、僕と秋山
くんは呆気にとられて、ただ、見送るだけだった。
「秋子さん、しっかりしてくださぁい。もう、大丈夫ですよぉ。」
まよは、泣き崩れてる秋子さんを抱き起こすと、背中をさする。秋子さんは、まよの顔を見ると
力が抜けたのか、一層激しく泣き出して、まよに抱きついた・・・。
あの、さっきから僕達、全然、動いてないんですけど・・・。
「ニャ〜〜。」 22