「ほら、ローラだって心配してますよ。」
「・・・・・・。」
 秋子さんは、黙り込む。何日も、寝ずに喜一郎の事を考えていたのだ。反対です。と言
われて、うん。分かったやめる。などと、簡単に切り替われるもんじゃない。あぁ、可哀相
な秋子さん。これじゃ、今夜も眠れないぞ。
 午後3時30分。いつもなら、夕食まで食べていくのに、まよは、帰っていった。流石のま
よも、この雰囲気に耐えられなかったらしい。
 その後、当然、秋子さんと僕は二人?きりになった。テーブルに肘をついて考え込む秋
子さん。家の中を包む空気は、依然として重たい。う〜む。
 少しだけ、救いを発見。窓から差し込む光は、秋子さんをいたわる様にやさしい。どうや
ら、外は良い天気らしい。出来る事なら、まどろんでいたい・・・て、寝てられないよなぁ。
 僕は、おでかけ用の編み籠状バスケットを咥えて、秋子さんの所まで引っ張って行く。い
くら座敷ネコだからといって、全然、外に出ない事はない。時々は太陽光線の恩恵にあず
かりに、秋子さんと公園へ、でかけたりもしているのだ。
 今日の秋子さんは、太陽の光をいっぱい浴びるに限る。
「ニャ〜オン。ニャ〜オン。」
 秋子さんを公園での日向ぼっこに誘ってから6分後、外に出る事が出来た。しかし、少し
後悔している事がある。それは、考え込みモードに入った秋子さんが、無事に公園へ辿り
着けるのだろうか?という事である。
 公園への道のりは、普通に歩いて約10分。大丈夫だろうか。時々、ガクンって揺れるん
だけど・・・何故だろう・・・。秋子さぁ〜ん。
 午後4時23分。やっとの事で、公園へ到着。少し寿命が縮まった。ただでさえ、人間より
寿命が短いっていうのに。
 そして、公園の中に入る。やさしかった春の日差しは、更にやさしくなっていた。だって、
夕暮れだもんなぁ。ん、秋子さんと僕が、いつも座るベンチに先客が居るぞ。クンクン。嗅
ぎ憶えのある匂い。ん〜、朝の彼女だっ。
 運命だ。間違いない。朝、来た男と一緒にベンチでまどろんでる様子である。秋子さんの
足が止まった。男が僕等に気が付いた。軽く会釈をする。秋子さんも会釈を返す。良い感じ。
「ニャーオ。」
 僕も彼女に挨拶をする。
「ニャーオ。」
 返事が返ってきた。う〜ん、良い感じ。                               11

 秋子さんの足が動いた。そうそう。彼女の元へどんどん近づいて・・・って、秋子さん、何
処行くの?
 秋子さんの足は、可愛い彼女とは反対に向って動き出した。秋子さん。それはないです。
こんなチャンスは、2度とないかもしれない。僕はフルパワーで、バスケットの中で暴れて
みた。
「フォ〜ン。ギャ〜ン。」
 そして、思いっきり、ただならぬ調子で鳴いてみる。僕は、ここぞというチャンスを見逃す
ような事はしないのだ。秋子さんも見習って欲しい。
 異変に気付いた秋子さんは、慌ててフタを開けた。今だっ。
「フニャン。」
「ローラ〜。」
 脱兎の様にバスケットから飛び出した僕は、一直線に彼女の所へ走る。後ろから、秋子
さんの悲鳴にも似た呼び声が聞こえるが、この際、気にしていられない。
 彼女は、走ってくる僕の姿をつぶらな瞳で、ジッと見ている。よし、彼女まで、約1メートル
だ。ジャーンプ。
「ギャォ。」
 僕は、目の前が一瞬、真っ暗になった。どうやら、彼女にケリをもらったらしい。無理もな
い。少し、勢いが有り過ぎたようだ。
「もう、ローラは・・・。すみません。大丈夫ですか?」
 秋子さんは、男の所へ駆け寄ってきた。
「いえ、全然、大丈夫ですよ。」
「どうしてかしら。うちのネコも、普段は大人しいんですよ。」
「そのネコは、オスですか?」
「えぇ。」
「だからだ。」
 男は、納得したように言った。秋子さんは、ちょっと不思議な顔をしたが、すぐに気が付い
て、
「そちらは、メスなんですね。」
「えぇ。」
 秋子さんと男は、お互いに笑い出した。う〜む。僕の行動は、結果として、秋子さんと男を
会話させるのにも役立ったようだ。すでに、僕は彼女とは仲良くなっていて、彼女の傍らで、
毛繕いをしている。う〜ん、良い感じ。                                12

「オスネコなのに、ローラなんですね。」
「えぇ、母がつけたんです。」
「朝は、どうもスミマセンでした。」
「昨日は、グッスリ寝たので大丈夫です。」
 何だか、微妙に会話が噛み合ってないような・・・。
「プリシラって名前なんです。僕のネコ。」
「わたし、篠田といいます。」
 う〜む、どうやら秋子さんは、まだ、動揺しているようだ。それにしても、彼女は、プリシラ
って言うのかぁ。いい感じの名前じゃん。
「僕は、秋山といいます。」
 男は、ちぐはぐな秋子さんの対応を気にする素振りも見せずに名乗った。非常に好印象
である。まぁ、ネコと暮らす奴に悪い者はいないのだが、この男は、得にいい人って感じで
ある。
「最近、この近所に越してきたんだけど、何となく落ち着ける所を探してたら、ここを見つけ
て。」
「わたしも、よくローラとくるんですよ。」
 夕日のオレンジ色が、ベンチに座る二人を包みこむ。うむ。秋子さんとのフィーリングも良
いようだ。よし、決めたぞ。この二人を何としてもくっつけてみせる。そして僕は・・・。プリシ
ラちゃんの毛並みに反射する光の中に、じゃれあう二匹のネコが浮かんだ。
 公園が紫色の夕闇に染まる頃、秋山くんと秋子さんは、それぞれ帰途についた。心なし
か、バスケットを持って歩く秋子さんの足取りが、軽くなったように思える。よかった。でも、
公園に居る時は、舞い上がってて考えもしなかったけど、二人がくっつくと、秋山秋子にな
るんだよね。ニャハハ・・・・・・。
 さてさて、笑ってなんかいられないぞ。どうやって、秋山くんと秋子さんを仲良くさせるかだ。
1回会ったって、恋なんて芽生えるハズがないのだ。得に、秋子さんは、何回か会ってるう
ちに、好きになるってタイプなんだし。それに、喜一郎っていう男の障害もあるもんなぁ。ど
うする?・・・・・・・。
 午後5時45分。家に着いた。僕は、バスケットのフタが開けられるのと同時に目が覚め
た。寝てしまっていたのだ。昼寝をしてないのと、バスケットの揺れ具合が絶妙だったもん
だからつい・・・ね。                                           13

 とにかく会う事だ。そう思った僕は、秋子さんが休みの時などは必ずバスケットを咥えて
公園へ行く事を催促した。
 秋子さんの方も、まんざらでもないらしく、僕の催促の度に、公園へ連れていってくれた。
「最近、暖かになってきましたねぇ。」
「そうですね。もう、春ですもんね。」
 公園で、秋山くんと秋子さんが会うのは、今日で4回目だ。
「秋山さんは、独身なんですか。」
「えぇ。」
 4回目の出会いで、この会話。展開としては、良い感じなのか?それとも遅い?
「何歳なんですか?」
「今年で26になります。」
 まぁ、こんなもんでしょう。愛をゆっくり育むって感じで、秋子さんらしくて良い展開だと思
う。
 最近では、喜一郎との接触もないようだ。秋子さんと違う部署に配属されたのだという。
しかし、油断は出来ない。時折、電話がかかってくる。
 ジャレてるふりをして、電話を切る。留守電に吹き込まれてたら、解除する。地道な僕の
妨害工作の甲斐あって、徐々に秋子さんと喜一郎との間に溝が出来てきた。
 これで、放っておいても、秋子さんは秋山くんと付合う事になるってもんだ・・・と思ったん
だけど、どうもいまいち、決めてに欠ける。何だろう・・・。
「もうすぐ、桜が咲きますね。」
「楽しみだわ。」
 今日で、出会って5回目。やはり、決めてに欠けるような・・・何だろう・・・。

「ロォ〜ラァ〜。」
 何とも甘ったるい呼ばれ方。抱き上げられる時に、一瞬、感じる冷たい金属の感触。ま
よである。
「ロォ〜ラァ〜、元気にちてまちたかぁ〜。」
 宙ぶらりんな僕は、まよの問いかけと共に振り回される。まよちゃ〜ん。元気でちたよぉ。
さっきまではぁ〜。
「ニャ〜ァァァァ。」
 一通りの挨拶の儀式?が終わると、僕は床に降ろされた。時間は、午後3時。3時のオ
ヤツを一緒に食べに来たらしい。                                  14

 テーブルの上には、シフォンケーキ。しばらくして、レモンティーの香りが漂い始めた。ま
よの訪問は、久し振りである。あの気まずい会話以来、遊びに来てなかったのである。
「今日は、とても安徳寺屋のシフォンケーキが、食べたかったんですぅ。」
「そうなの。」
 何事もなかったような、他愛のない会話が始まった。お互い、喜一郎の話題へは触れな
い。ふむふむ。良い感じじゃないですか。ケーキと紅茶を前にしてよもやま話しに花を咲か
せる・・・乙女の語らいっていうのはいいもんだねぇ・・・などと悟りを開いた老人のような
事を思いながら、僕はまどろむ事にした・・・。
「そんな事だから、秋子さんはダメなんですぅ。」
「だって・・・。」
 ニャン?まよの大きな声で目が覚めた。何やら、秋子さんとまよは言い争っているようで
ある。僕が少し眠ってる間に、会話の内容は喜一郎の事になっていたのだ。
「どうしても、忘れられないんですかぁ。」
「でも・・・。」
 言い争っているというより、まよの一方的な発言のようだ。やれやれ、乙女の語らいは何
処へ行ったのだ?ニャーンとも、女の友情というのは、儚いというけど・・・そういうものなの
か?いやいや、友情が厚いから、こうなっちゃうのだろう。
 とにかく、止めなくては。興奮気味のまよに頭を擦りつけてみる。まよと視線が合った。
「ロォラァ〜。心配でたまりまちぇんねぇ。」
 ま、まぁね。僕は嫌な予感がしたので、素早く身を退いた。興奮しているまよに抱き上げ
られたら無事ではいられそうにないからだ。
「わたし、帰りますぅ。」
  まよは、勢いよく席を立つと、カバンを掴んで玄関へ走って行った。秋子さんは、何も言え
ずに座ったままである。
「ピンポーン。」
 まよが玄関のドアノブに手をかけた時、呼鈴が鳴った。
「ハイ。」
 まよが返事をした。そして、その流れで応対にでる形となった。
「え〜と、秋山という者ですが。」
 ドアを開けると、秋山くんが立っていたのである。しかも、愛しのプリシラちゃんと一緒に。15

「あ、ハイ。秋子さぁ〜ん。お客さんですぅ。」
「はーい。」
 秋子さんが玄関までやってきた。
「秋山さん。」
「どうも。」
「ニャ〜オン。」
「ニャァ。」
 お互い、軽く挨拶をしてから、沈黙になった。どうも、まよが居るので話しづらいようである。
「もぉ、二人共、どうしたんですかぁ。」
 多分、まよちゃんがいるからだと・・・。
「まぁ、ここでは何ですから、中に入って下さいな。」
 まよは、自分の家のような口調で、秋山くんを家の中に入るように促した。うん。それが良
いと僕も思う。まよも帰る事だし、中でゆっくりとね。お話しでも。それでは、まよちゃんサヨ
ウナラ。
「さっ、さっ、どうぞ。どうぞ。」
「まよちゃん・・・。」
 やや、戸惑いがちな、秋子さんと秋山くんが、まよに押されていく。そして、二人を椅子に
座らせると、紅茶を用意し始めた。あ、あの〜、まよちゃん。帰るんじゃなかったの?
「へぇ、ご近所さんなんですかぁ。いいなぁ。」
 まよは、紅茶をカップに注ぎながらも、機関銃のように秋山くんに話しかける。秋子さんは、
圧倒されてしまって、黙ったままである。
 何だか変な感じだぞ。う〜む。せっかく、プリシラちゃんが、そばにいるというのに気が散る
じゃんか。
「秋山さんって、色が白いですねぇ。色が白い人って、わたし、タイプなんですよぉ。」
 ん?ん?ん?
「まつげも長いんですねぇ。」
 まよは、そう言うと、秋山くんの目をじっと見つめた。ん?ん?ん〜??やっぱり、何だか
オカシイ雰囲気ですよ。これは。ひょっとして、まよは、ひょっとしたの?
 秋山くんもドギマギしている。オイオイ、まよぉ〜。
「ニャ〜〜〜。」                                             16

「ところで、秋山さんは、何か用事があったんじゃ・・・。」
 秋子さんが、この雰囲気を変えるべく、秋山くんに話しかけた。
「あ、そうそう・・・。篠田さん、この前[悠木DC(ドラマティック・カンパニー)]の芝居を観たい
って言ってたよねぇ・・・。」
 秋子さんの顔が、明るくなった。と、同時に、まよの目が光った。ように僕は見えた。
「悠木DCって、あの[こえびと]とかをやった劇団のですかぁ。」
「え、う、うん。その、悠木DCだけど。」
「わたしも、好きなんですぅ〜。」
「え、そうだったの?」
 え〜、そうだったの?何となく、マズイ雰囲気だぞ。秋子さんの顔が、だんだんと暗くなって
いく。
「偶然、チケットが2枚、手に入ったから・・・。」
「まぁ〜、すてきぃ〜。」
 まよがパチンと手をたたいた。喜びの表現らしい。この流れだと秋山くんは、秋子さんと、ま
よの2人で行くようにチケットを渡すよなぁ。
「じゃ、丁度よかった。2人で行って来るといいよ。」
 秋山くんは、そう言うと、テーブルの上にチケットの入った封筒を置いた。やはり、そうなった
か。全然、丁度よくないよ秋山くん。悠木DCと言えば、結構、人気のある劇団だ。偶然、手に
入ったって言ってるけど、一生懸命になって手に入れたに違いない。
「そんなの悪いですよ。」
 秋子さんは、チケットを秋山くんの所へ移動させた。
「そうですよぉ。2人で仲良く行って来て下さいよぉ。」
「え?」
「えっ?」
「ニャン?」
 まよの発言に、2人と1匹は同時に声をあげた。
「それじゃぁ、わたし、帰りますぅ。秋子さん。今度、感想を聞かせて下さいねぇ〜。秋山さん、
お話し出来て、楽しかったですぅ。サヨナラァ〜。」
 そう言うと、まよは、風のように帰っていった。後に残った秋子さんと、秋山くんは、お互いの
顔を見合わせたまま、呆然としている。う〜む。まよは、いったい何を考えてるのだろう・・・。
 あ〜、秋子さん達の事を気にしてる間に、プリシラちゃんが寝てしまってる。ジャレ合う事が、
出来なかったじゃないかぁ・・・。でも・・・。寝顔が可愛い・・・。僕も隣りで寝る事にした。   17

 そんなこんなで、秋子さんと秋山くんは、無事、悠木DCの芝居を観る事が出来た・・・。かと
言って、二人の仲が進展した訳ではない。相も変わらず、公園でのつかの間の語らいを楽し
んでいるだけである。
 どうしたもんだろうねぇ。この二人は。多分、秋子さんは秋山くんの事を気に入っているハズ
だし、秋山くんも、秋子さんの事が好きだと思うのだ。もちろん、プリシラちゃんと僕も、相性は
バッチリである。
 しかし、いつまで経っても、恋人同士にならない・・・何か決め手に欠けるのか?人間という
ものは、どうも、まどろっこしくていけない。好きなら好きと、言えばいいのだ。ネコの世界で、
そんな事をしていたら、すぐに他のネコに奪われてしまう。
 奪われてしまう?ダメだ。このままだと、まよに秋山くんを奪われてしまう。何とか、サッサと
二人をくっつけてしまわないと・・・。っていっても、浮かばないんだよなぁ。
「最近、すっかり春めいてきましたね。」
「ホント。」
 ほんと、呑気な会話だこと。
「そう言えば、お芝居のチケットのお礼をしてなかったですね。」
「お礼って?そんな、いいですよ。」
「よくないです。」
 ん?何か、良い感じの雰囲気だぞ。
「あの・・・一人暮らしなんですよねぇ。」
「え?えぇ。」
 正確には、1人と1匹だよ。
「わたしもなんです・・・。」
 あらら。今日も進展なしか。
「今度、わたしの家へ来ませんか?」
「はい?」
 ニャッ!!オイオイ、秋子さ〜ん。一変して怪しい雰囲気。そんな急に大胆にならなくてもい
いんだよ。
「お礼に食事に招待しようと思って。大したものは、出来ませんけど・・・よかったら。」
「よ、よろこんで。喜んで、招待を受けるよ。」
 一時は、どうなるのか?って、思ったけど、良いじゃ〜ん。                   18

 秋子さんと秋山くんの仲は、何とも、良い感じで進行し始めたもんだ。秋子さんは、先程か
らずっと、台所でハナ歌を歌っている。随分、明るくなった。
 この調子だと、シーフード味から開放されるのも近い。しつこいと思うかもしれないが、本能
で行動している者にとっては、食に関する事は大変、重要なのだ。
「トゥルルルル。」
 午後9時23分。電話が鳴った。
「もしもし。あ・・・はい。」
 電話にでた秋子さんの声のトーンが下がっていく。好まざる人物かららしい。誰だ?
「ニャ〜。」
「ローラ、静かにして。」
 秋子さんが、小声で言う。そこで、ピンときた。相手は喜一郎だな。
「えぇ・・・でも・・・えぇ・・・わたしは・・・えぇ・・・でも・・・。」
 喜一郎が、殆ど一方的に話しているらしい。秋子さんのは、何とも煮え切らない返事をして
いる
「そんな・・・でも・・・困ります・・・でも、あ・・・。」
 午後11時10分。一方的に話していた喜一郎は、一方的に電話を切ったようだ。まったくも
って失礼な奴だ。しかし、明日は秋山くんを夕食に招待する日だっていうのに・・・大丈夫なん
だろうか。何やら、重たい会話だったみたいだけど・・・。
 そう言えば、しばらく電話も無かったし、家にも来なかったので、喜一郎の事は、うっかり忘
れかけてたよ。いったい、どんな内容だったのだろう。
 午前8時。晴れ。日曜にしては、良い天気だ。例によって、一睡も出来なかった秋子さんが
ベッドから降りると、両手を上げて大きなアクビをした。つられて僕も、伸びをする。遠慮がち
に遊んだからなぁ。秋子さんは、フラフラとした足取りで、洗面へ向かう。
 折角の休みなんだから、もうちょっと寝てればいいのにとも思うが、今日は、秋山くんが来る
からなぁ。掃除や料理の下準備なんかで忙しくなるのだろう。
 午後2時。家の掃除を終え、買い物へ出かける。寝てないとはいえ、テキパキと用事をこな
していく。秋子さんは、いい奥さんになるよ。絶対。
 午後5時。料理の下準備も終わった。秋山くんは、午後7時にやって来る予定なので、バッ
チリである。いいぞ。秋子さん。
「ピンポーン。ピンポーン。」
 午後7時5分。呼鈴が鳴った。秋山くんだな。うむ、時間通りだ。              19

「どうも、こんばんは。」
 秋山くんが、心なしか、めかしこんでる様に見えるのは、僕の気のせいだろうか。クンクン。
少なくとも、コロンはふってるようだ。
「いらっしゃい。」
 当然、めかしこんでる秋子さんが、出迎える。さぁ、これから二人だけの、甘いディナーが、
始まるのだ。う〜ん。どうなるんだろう。ドキドキする。だって、僕の生活にも大きく影響のある
事だからね。
 やや、よそよそしい雰囲気の中で、食事が始まった。ビーフストロガノフ。確か、そんな名前
の料理だったと思う。秋子さんの得意料理なのだ。
「うん。おいしい。」
「ホントに?よかった。久し振りに作ったから、自信がなかったの。」
 繰り返すようだが、この料理は、秋子さんの得意料理である。謙虚な秋子さんらしいコメント
ではある。
「いや、最高だよ。」
「そう言ってもらえると、うれしいわ。」
 何だか、首の辺りが、ムズカユクなってきた。すっかりピンク色だね。部屋の中は。二人をと
りまいていた緊張感が、みるみる薄れていく。調子は上々である。
「ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。」
 せっかちなテンポで、呼鈴が鳴った。今日は、秋山くん以外、来客の予定はないハズである。
「ドン。ドン。ドン。」
 今度は、激しくドアを叩く音がする。どうも、尋常でない状態の客らしい。誰だ?嫌な予感が
する。
 薄れかけていた緊張感が、再び部屋の中に広がる。秋子さんは、恐る恐る玄関へ向かう。
大丈夫。僕も一緒に行くよ。
「どなたですか?」
 おびえた声で、秋子さんはドアの向こうへ呼びかける。しかし、応答はない。古い造りの家な
ので、ドアチェーンは付けられていない。再度、呼びかけても返事がないので、ゆっくりとロック
を外した。
 凄い勢いで、外側からドアが開けられた。そして、男が入ってくる。
「喜一郎さん・・・。」                                          20





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