桂小五郎 但馬紀行


桂小五郎の但馬潜伏記 巻弐


NHK大河ドラマ新撰組も幕末のただならぬ雰囲気

のなかで、少し緊迫感が増してきました。

でも三谷幸喜先生の脚本なので、アットホームな

温かいやりとりがあって、楽しく見ています。



「城跡より望む出石の街並み」
さて桂小五郎ですが、前回久畑の関所を広戸甚助の機転の利いた釈明で難を逃れたことをお話しました。
今回は少し出石のことについて報告します。
出石は但馬地方の西部に位置し、京都・丹波から丹後に通じる要所であります。
天日鉾また彼を祭る但馬一の宮の出石神社は古事記にも出てきます。
古くから但馬地方の中心地のひとつであったことは間違いありません。
桂が出石に潜伏していた時、出石には但馬最大の藩(三万八千石)があり、仙石氏が治めていました。かっての守護大名山名家が築いた有子山城の麓に広がった城下町です。
有子山城麓には、近世城の出石城があります。出石城から桜並木を越えて見る出石平野は、とても明るくのどかであります。天守閣などは築かれなかったのですが、いくつかの櫓が造られ、川を自然の堀とし、有子山を詰め城としたやや小規模ではありますがりっぱなお城です。
現在は城山公園として親しまれています。

「城山公園として親しまれている出石城」

「弘道館跡地」
東方には藩校弘道館跡地・又、初代東大総長となった加藤弘之の生家もあります。
その間は経王寺という城郭とまがうような構えの日蓮宗の寺があります。
又城の大手前には、辰鼓楼という時計台もあり、かってのの出石城下の中心地であったところです。
西方には,家老屋敷がそのまま残っており、仙石騒動の主人公、仙石左京の屋敷跡です。
城下を少し東方へ行くと、宗鏡寺・沢庵和尚が中興した臨済宗の寺です。
和尚は山名家家臣の末裔で、このあたりで幼少を過ごしたと思われます。
城下の町人街に入ると桂小五郎ゆかりの場所も多くありますが、また後日報告します。

出石は、そばどころ、現在では、出石そばとして有名です。仙石家が出石に移封された時、信州より、そば職人を連れて来たということです。
また出石焼もあり、白磁のあまりにピュアーな焼き物です。
かって藩命で、伊万里に技術を盗みに行ったということも聞きます。
出石は鉄道が敷設されなかったこともあって隣藩豊岡に但馬の中心地を譲りました。現在は古いままに残った街並を売り物として観光客獲得に一生懸命です。
又、新しい魅力もくわえられ但馬地方ではなかなかの観光の先進地でもあります。
出石については桂小五郎のことも含め報告してゆきます。

「かつての家老屋敷跡地にある伊藤美術館」

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