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1.沿革と特色 杞柳製造の製造は奈良時代に始まり、江戸初期に京極家が豊岡へ移封されて、 産業として確立された。但馬地方では明治中期まで他の産業がなく、 原材料である杞柳が江戸時代から藩の奨励策によって多量に生産され、名実ともに「但馬柳行李」 として全国的地位を築いた。大正時代に入り販売網が確立されるとともに柳製品の製造が始まり、 中でもバスケットは輸出品として海外に進出し、業界は大きく発展した。 現在、流行の基調変化、製作技術者の高齢化等により、柳行李生産は減少している。 バスケット類は、一時化学製品の台頭などにより押され気味だったが、 近年民芸品としての杞柳の再認識されたことや、ファッションが多様化したことから、 需要の増加が見込まれ、杞柳製品の中心になっている。 現在、杞柳製品の生産は但馬が全国の90%を占めている。 なお、杞柳の語源は、「孟子」の「人性ヲ以テ仁義ヲ為スハ、猶ホ杞柳ヲ以テ、 杯倦ヲ為ルガゴトシ」(本来、自然のままの人性に、仁義の気質を持たせるのは、 ちょうど杞柳=コブヤナギで曲げ細工を作るようなものである)による。 |
2.企業数、従業員数、生産高推移
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3.製品別生産状況
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