老 母 の こ と
(遺言書の概略)



わたし「マーチャン」は、養母のことを「老母」と呼ぶ。

仏壇の引き出しから老母が認めた遺言書を発見した。
昭和14年(1939年[75才])のものだった。

最初に

「[神仏崇拝][祖先崇拝][両親崇拝]の念 一日も忘るべからす」

と ある。

次いで
初代から署名時(昭和14年)までの累代の戒名を記し、

先祖さま 初めて一家御納め下さる。
ご辛苦の御恩のお蔭様で今日に至る。

御鴻恩代代の主人一時も忘るべからず。  と。

150年程前(1790年頃)
町内の某在所区画 丸焼けの事実を記し、
当家も類焼にて 丸焼け消滅の由、

当時の当主(三代)の寝食を顧みない努力で
家屋・家業(織物業)再興したる
功績を称える。

四代・五代
酒・色に溺れ財産を放蕩し尽す。

六代
奮励努力の人と評している。
男子世に出でて一家を再興せざれば、
祖先に面目なしと思い
勇み立ちて復興に傾注する。
屋敷裏方に
座敷・庭園の造作をなし
家具万端不自由なき と記す。
[老母世代にて 老母の夫である]

七代
丹後大震災時の当主。
妻と二人の子女を失う。
当主・相続人(2才)・老母の3人生き残る。
当主は、当時 ○○町の助役として精励し、
復興に勤しむが、健康不遇。
昭和5年に永眠(41才)す。

八 代   上記の  相 続 人 (2才)

九 代   「マーチャン」=迷筆堂 主人

と家系を継承する。

つづいて

時世のながれ・財産の考え方・戒め(教訓・家訓)などを記す。

以下のこの項      

時 世  の  な が れ
財 産  の  考 え 方
戒め(保証印・請け人の禁止)
戒め(株等 相場 の 禁止)
戒め(報恩  の  戒 め)
戒め(悪しき思想への 戒め)
戒め(酒・女 へ の 慎み)
 




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