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豊岡は遠い奈良時代(8世紀)から、伝統の柳行李など杞柳製品の特産地として、発展してきました。
大正6、7年ごろから「柳塗り鞄|が考案され、生産が伸び、大正12、13年ごろは、全世帯の6割が鞄の製造に従事し、全国柳製品産額(450万7千円)の6割弱が、城崎、出石両郡で生産していました。
昭和3年ごろには「ファイバーかばん|を商品化しています。
昭和6年満州事変、同12年日中戦争など、戦時色が濃くなるに従って、軍用の飯ごおり等の注文が多くなり、軍需品として上達し、全町を挙げて飯ごおりの生産が行われました。
昭和15年ごろは、軍用行李、ファイバーかばん、ふとん袋の需要増加に伴い、活発な商いが行われました。
ファイバーかばんは、戦時中も統制外(皮革や布などは、昭和15年ごろから統制)であったため、その後めざましく伸び、最盛期は月産18万個の勢いでしたが、以降終戦までは人手不足で衰退しました。
豊岡は、戦災を免れたため、戦後の在ち直りは早く、柳製品、かばん製品もいち早く生産を再開しました。
柳製品では買物かごを主に手提げ篭の創作が進み、その実用性が買われて生産も急速に増え、又ラッカー吹き付け塗装による着色がひろまってカラフルな、デザインも新感覚のものが年とともに増えました。
しかし、特産の本命はフアイバー鞄で、出張セールスの必需品に成長したばかりでなく、運搬用にあるいはまた整理ボックスなどの用途にも大きく進出した。
朝鮮特需で勢いづいた鞄業界は、活気を加え、鞄製品(旅行鞄、トランクなど)は、ファイバーを中心に昭和27年には年産6億円に達し、柳製品の3億7000万円を大きく上回り、豊岡の主産業となりました。 鞄業界では、戦後の高分子化学工業の発達にともない、昭和28年頃からビニールテックスなど新素材によるスマートケースの成案が始まりました。
従来豊岡にはなかったミシン加工の縫製技術がとリ入れられ、その努力が昭和30年にピアノ線入りのオープンケースの生産となって量産とともに輸出も急増しました。
豊岡のかばん、柳製品も、高度成長下の消費の増大、多様化に恵まれて、昭和27年に年産6億円のかばん製品は、昭和31年のオープンケースの急増、昭和37年には34億円と5.7倍の規模になりました。
輸出は、昭和43年の40億円をピークに下向線を画き46年にドルショックが起こり、円の為替レートが308円へ切り上げられたため、輸出の8割を占めるオープンケースの輸出採算が悪化し、通貨不安と共に輸出の先行き悲観が広がりました。
続いて第1次、第2次石油危機により輸出は減速しましたが、その反面内需により補い苦難の道はあったものの総量では増えていいます。
かばん、柳製品の商品別販売額の57年を見ると、
鞄製品、袋物は伸びていますが、
杞柳製品は減退しています。
また、旅行鞄が伸び悩み、スポーツバッグが
小幅ながら着実に増えてきました。
額では約28%を占めるようになりました。
素材別では、塩化ビニールに変わって
合成・人工皮革が増え始めました。 |
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昭和43年11月、企業の共同化を進め近代化を図るために、九日市上町に、全国で唯一の「豊岡鞄団地」を設置しました。この中の工場は、機能的な職場環境の確保や積込・運搬の効率化など一層の合理化・近代化をはかった施設となっている。この運営主体として協同組合豊岡鞄工業センターを設立し、年2回の定期的な合同見本市の開催などかばん産業の集積地というメリットを活かしたさまざまな事業を実施してきました。
昭和51年4月から「中小企業近代化促進法」に基ずく豊岡鞄産地構造改善の五ヶ年事業に着手し、新商品技術の開発を初めとする振興事業を促進しました。
昭和53年3月に豊岡鞄会館が、中核施設として新たに大磯町に完成しました。
さらに、昭和54年7月「産地中小企業対策臨時措置法」に基づく鞄産業の近代化への五ヶ年事業を鞄工業組合、鞄卸商業組合、鞄材料商協同組合が結束して推し進めました。品質技術面では、品質ラベルの表示や化学品検査協会登録認定工場制度などにより品質は向上し生産面でもコンピューターミシンなど新鋭の機械設備が導入されるようになりました。
生産(販売)金額では、鞄の高級化により1ケ当りの単価が上がり、製造業の昭和50年に約160億円が平成元年には、310億円と約2倍になっています。
豊岡は、全国生産の80%のシェアーを誇る、正に日本一の鞄生産地として発展しました。
平成3年3月、兵庫県商工部が「豊岡鞄産地振興ビジョン」策定し、デザイン・ファッションの自己表現化、新技術、設備への対応、販売戦略の具体的方策が示され、ファッション化と高級化にポイントを置いた商品開発を目指すようになった
平成6年7月14日~8月15日までの33日間、「但馬・理想の都の祭典」の一環として「豊岡・世界かばん博'94inひょうご」が開催されました。
豊岡市は、日本の代表的な鞄の産地で、鞄を基幹産業として成り立っています。かつては全国生産の80パーセントのシェアーを誇るまさに日本一の鞄産地でしたが、近年は東南アジア諸国からの輸入が増加したため、現在では出荷額は約210億円で、ピーク時の平成3年の約1/2まで減少しています。
平成18年10月に鞄製造業者で組織する「兵庫県鞄工業組合」で、地域団体商標として「豊岡鞄」の認証を受け、さらに鞄のブランド力を高める努力をしています。
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