多保市とおのいち ふる里の呼び名
「寺塔前で市場」由来か
京都新聞北部地域版より2010.9.8
かつて旧京街道沿いに集落がつくられ、多くの旅人でにぎわったという。現在も国道9号をひっきりなしに車が行き交う。
文字から想像しにくい読みだが、「10日もたたずに市場が立ったからという話がある。しゃれみたいなものだな」と地元の歴史に詳しい大槻敦巳さんは笑う。かつて集落に寺院が並び、塔の前で市場が立ったことから「塔の市」と名付けられたという説もあり、大槻さんは「こちらが正しいのでは」という。
「塔の市」説を後押しするのが、西へ約2キロの下六人部小の校庭にある幅約1メートル、高さ約60センチほどの石だ。上面には直径約30センチ、深さ約20センチの円形の穴があり、市史によると、奈良時代前後の寺院の塔によく用いられた礎石で、多保市東部で見つかり、明治末期に校庭へと移されたという。
ただ現在の文字があてられた理由は定かでない。江戸時代の地誌「丹波志」には、すでに「多保市の記載があるが、その由来をたどる記述は見当たらない。」
「とおのいち」やその近くを歩いてみると、オモシロイヨ。
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