杞柳製品の製造は奈良時代に始まり、江戸初期に京極家が豊岡に移封されてから産業として確立され、名実とも「但馬柳行李」として全国的地位を確立した。大正時代には海外にも進出し大きく発展した。
現在は流行の基調変化、製作技術者の高齢化等により柳行李生産は減少しているが、バスケット類は民芸品として、また、ファッションが多様化したことから需要の増加が見込まれつつある。
平成4年には、「豊岡杞柳細工」として国の伝統的工芸品の指定を受けました。